チャイコフスキーコンクール優勝から20年。 2大ピアノ協奏曲のライブ録音がCDに。


ピアニストの上原彩子さんが2002年の第12回チャイコフスキー国際コンクールで日本人初、女性初の第1位を獲得し、華やかにデビューしてから今年で20年。今年2月27日、東京のサントリーホールでデビュー20周年記念コンサートが開催されたことは記憶に新しい。熱気あふれる会場と一体となったライブ録音のCDが、このほどキングレコードから発売された。指揮は人気急上昇中の原田慶太楼さん、オーケストラは日本フィルハーモニー交響楽団である。

熱気に包まれた当日のサントリーホール

 

――チャイコフスキー国際コンクール優勝&デビュー20周年のコンサートはコロナ禍でもすぐにチケットが完売、会場は熱気に包まれました。ステージにもその熱気は伝わりましたか?

「湧き立つような感じが伝わってきました。お客様からお祝いしていただけるような雰囲気でしたね。その中でも集中して演奏できたのは嬉しいことでした。日本フィルの皆さんとはコンサートのちょっと前、一緒に九州ツアーに行っていて顔馴染みになった方も多く、応援していただいたような気がしています」

――チャイコフスキー国際コンクール第1位獲得からもう20年。忙しいコンサート活動の合間には結婚、3人のお子さんの出産・子育てという人生のターニングポイントもあり、目まぐるしかったのではないでしょうか。

「もう20年にもなるんですね。思ったよりは早かったかな。あっという間でしたね」

――今回はチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番という、ピアノ協奏曲の中でも屈指の人気曲の組み合わせで、上原さんが得意とされてきた曲でもあります。

「デビュー以来、チャイコフスキーの1番はもう70回くらい弾いていると思います。ラフマニノフの2番は30歳をすぎてからよく弾き始めましたが、それでも30とか40回は弾いているのではないでしょうか。どちらも教えてくださったのはロシア人のヴェラ・ゴルノスタエヴァ先生です。といってもラフマニノフの方は、19歳の時一度レッスンをしていただいた程度なのです。2000年のシドニー国際ピアノコンクールで弾きましたが、とにかく「客席まで音が聴こえていないな」というだけで終わってしまいました。音量が全然足りていなかったのです。あれだけ分厚いオケの音の中で自分の音が聴こえるようにするには、当時私が弾いている音では全然ダメ。まだ指の力が弱く、男性コンテスタントみたいに力でねじ伏せることもできませんでした。技術も体力もついていけないならどうすればいいのか。10年くらいかけて考え、30歳過ぎて再挑戦しました」

「チャイコフスキーはピアニストが引っ張っていけばよい曲です。一方ラフマニノフは、オケに引っ張ってもらいつつ自分も主張しないといけない曲ですから、経験が必要なんです。お互いに絡みながら、どこを聴き合ってどこをリードするのか。オケが主旋律を受け持って私が伴奏しているところもありますけれど、引っ張ってもらいながらも完璧な伴奏というわけではないので、ちゃんと曲の表情や意味を出していかないといけない。そのやり方がわかるまでに時間がかかるのです。先生に教えてもらってわかるものでもありません」

――以前、指揮者の飯森範親さんが、「ラフマニノフの協奏曲はオケも非常に難しいので、ピアニストとよく聴き合わなければいけない。上原さんはよく聴いてくれるので助かります」とおっしゃっていました。

「それは嬉しいな。ピアノを弾く技術も難しいから、こちらがいっぱいいっぱいになるとオケの音が聴けなくなります。余裕で弾ければいいんですけれどね(笑)」

 

上原彩子インタビュー_1

 

ロシア音楽の基礎を教えてくれた恩師の存在

 

――チャイコフスキーについてはゴルノスタエヴァ先生がしっかり教えてくださったんですね。

「ゴルノスタエヴァ先生には中学2年の時から教えていただきました。子ども相手であっても一切手加減なし。1番を教えていただく時、いろんな曲のイメージを言葉で説明してくださるんです。チャイコフスキーの他の曲を引用するとか。壮大な曲なので演奏するためにはイメージが自分の中でできていないといけない。特に私はオクターブのパッセージが苦手で、アレルギーといってもいいくらいでした。でも、音が10個20個つながっているところをポジションで分けて考えると弾きやすいんです。その分け方を先生が一緒に考えてくださいました。半分先生が弾いてくださってるようなものでしたね(笑)。当時と今とでは身長は大して変わっていないし、手の大きさも同じようなものですが、指の力はもうちょっと弱かったし音量も出なかったですね。今自分で教えるようになると、あんな生徒を教えるのは大変だったろうなと思います。相当な忍耐ですよね。6時間も教えてくれて、しかも次のレッスンですべて指摘した箇所が直っているわけじゃない。言われたことを一生懸命やり過ぎて極端に走ったこともあります。先生はそれを引き戻すわけです。自分では何がいいか悪いか、はっきりわかっていないまま進んでいる時もありました。とりあえず弾いていくというレベル。本当に普通の生徒ですね。特に優秀ではなかったと思います」

――文化の違う日本人に教えるのですから、さらに大変だったでしょう。

「先生はよく文学を応用なさいました。チャイコフスキーでは同じロシアの文豪トルストイの作品が近いとおっしゃっていましたね。物語が壮大ですから。私も『戦争と平和』などを一生懸命読みました。協奏曲なら《エフゲーニィ・オネーギン》など、チャイコフスキーのオペラも勉強になります。先生が弾いてくださったオペラを、家に帰ってから今度は映像を見てみるとより深く理解できることもあり、視野の広がるレッスンだったと思います。先生はもう音楽活動はなさっていませんでしたが、素晴らしく弾ける方でしたので、弾いてくださった音が私の体の中に目標として残っていたのだと思います。自分の耳の中に「こういう音を出したい」という気持ちがなければ出てこないもの。小さい頃に素晴らしい音を耳に入れていただいたのはありがたいことでした」

 

上原彩子インタビュー_2

 

2つの協奏曲の違いを楽しんでほしい

 

――近年の上原さんはフォルテピアノを熱心に勉強していらっしゃいます。リサイタルではモーツァルトを盛んに弾かれていて、それが2020年1月に東京交響楽団と演奏されたベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番にも反映されていたと感じました。チャイコフスキーやラフマニノフではいかがでしたか。

「確かに、チャイコフスキーやラフマニノフにも反映しています。前はチャイコフスキーであれラフマニノフであれ、とにかく重たい音で最後まで引っ張って行こうとしたけれど、ラフマニノフの2楽章では前より弱い音を効果的に使えるようになったことですごく幅が広がったと思います。これまでやったことのない作曲家にチャレンジすることは大事ですね。それにモーツァルトの協奏曲はけっこう難しいんです。天才ピアニストだったモーツァルトが自分の技術を見せるために作ってるようなものですから」

――名曲2曲の弾き分けは大変だったのでは?

「コンサートでは続けて弾くので、曲の持つカラーの違いを出すことが大事でした。ラフマニノフは同じロシアの中でも暗くて重く、くすんだ色合いの音が必要です。チャイコフスキーはそれに対して明るい音。またラフマニノフはオケがしっかりと音楽を引っ張ってくれている。ピアノは下から支えつつ、時には前に出て行かないといけません。チャイコフスキーはピアノがしっかりと主導権を握っているので、その違いをしっかりと出して、聴いている方にコンサートの流れが伝わり満足して帰っていただけるように心がけました。録音ではその点も楽しんでいただければと思います」

――指揮は若い原田慶太楼さんでした。

「原田さんとは色合いの違いまで話はしませんでしたが、レコーディングもありましたので、リハーサルの前の日に全部通して、ここはどうしようかなどと打ち合わせをしっかりさせてもらいました。バトンテクニックは素晴らしいし、人間的にもポジティブな方なので、私のプレッシャーをうまくフォローしつつリードしてくださいましたね。一番大変なのはレコーディングがあるので、リハーサルも含めて1日4回コンチェルトを弾かないといけない。リハでもちゃんと音をとるんです。だから体力を使い過ぎないように(笑)。私の場合、チャイコフスキーは少々疲れていても弾けるので、ラフマニノフをパワー全開で弾いても大丈夫なんです」

――それはすごいですね。コンサートでは、華やかな2曲の後に演奏されたアンコールの《瞑想曲》がしっとりとして素晴らしかったです。

「この曲は14歳くらいから弾いています。チャイコフスキーが亡くなるちょっと前、交響曲《悲愴》を書いていたのと同時に書いた曲。たぶん彼にとってはちょっとした息抜きだったんでしょうね。音の使い方などは《悲愴》に似ています。さりげないけど深みがあってとても好きな曲。ピアノって輝かしい部分だけはなくてふんわりした音も出る楽器なので、穏やかな気持ちで帰っていただければと思いました。CDにも収録していますので、協奏曲との違いを感じていただければ」

――若い頃から何枚もCDを録音されています。今ではサブスクでも聴けますが、聴き比べも楽しめそうですね。

「コンクールのライブ録音も発売されていますが、当時の音はとにかくまっすぐなんです。今はいろいろなことを考えて演奏しますので深みは出てきましたが、当時のまっすぐさも今となっては爽やかな良さがあると思います。今回のCDと聴き比べていただけると嬉しいですね」

 

 上原彩子インタビュー_3

 


 

【プロフィール】

第12回チャイコフスキー国際コンクール ピアノ部門において、女性としてまた、日本人として史上初めての第一位を獲得。第18回新日鉄音楽賞フレッシュアーティスト賞受賞。
これまでに、ヤノフスキ、ノセダ、ルイ-ジ、ラザレフ、ペトレンコ、小澤征爾、小林研一郎、尾高忠明、飯森範親、各氏等の指揮のもと、国内外のオーケストラのソリストとしての共演も多い。
2004年12月にはデュトワ指揮NHK交響楽団と共演し、2004年度ベスト・ソリストに選ばれた。CDはEMIクラシックスから3枚がワールドワイドで発売された他、キングレコードより「ラフマニノフ 13の前奏曲」「上原彩子のモーツァルト&チャイコフスキー」「デビュー20周年記念コンサート・ライヴ盤」等4枚がリリースされている。
東京藝術大学音楽学部 早期教育リサーチセンター准教授。

オフィシャルHP:https://www.japanarts.co.jp/artist/AyakoUEHARA

Twitter:https://twitter.com/ayako_uehara_pf

 

【リリース情報】

 上原彩子インタビュー_4


『上原彩子 チャイコフスキー&ラフマニノフ2大ピアノ協奏曲ライヴ』
2022年5月18日(水)発売 
KICC-1593 3,300円(税込み)

mysound:https://mysound.jp/art/731864/

キングレコード:https://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=44645

 

【Information】


 上原彩子インタビュー_5
 

『指先から、世界とつながる ~ピアノと私、これまでの歩み~』
(ヤマハミュージックエンタテインメント刊)

上原彩子 著
2021年12月27日発売
四六判/232ページ
定価:2,200円(税込)
ISBN:978-4-63-697290-0

https://www.ymm.co.jp/p/detail.php?code=GTB01097290

 


 

Interview & Text:千葉望
Photo:神保未来