第九回 アルフレッド・リードとロバート・モンダヴィ【名曲と美味しいお酒のマリアージュ】

僕の夏は吹奏楽一色となります。今年は2年ぶりに吹奏楽コンクールも開催され、審査などで各地にお邪魔しました。例年楽しみにしている地酒と居酒屋はお預け、という状況でしたが、それでも練習が困難な状況の中で頑張っている中高生の演奏を生で聴き、音楽にひたむきに取組む姿勢を見て久々に若い感性の迸りに触れることができたことは、大きな喜びでした。

僕と吹奏楽との出会いは遅く、フィンランド留学を終えて帰国してから本格的に始まります。留学仲間が教えていた大学に呼ばれて吹奏楽の授業を担当するようになったのがきっかけですので、30歳を超えてからということになります。

ここで、読者の皆さんは「吹奏楽とクラシックは違うの?」と素朴な疑問を持たれる方もいらっしゃることでしょう。

答えは「はい」であり「いいえ」であり……ちょっと複雑です。

「はい」という答えには、僕個人の音楽歴が挙げられます。管楽器は中学の頃に吹奏楽部に入って楽器を始めるという人が多いのですが、僕は水泳部でしたし、小さい頃からマリンバとヴァイオリンを習っていたもののバンドやオーケストラに所属したことはありませんでした。また、留学していたシベリウス音楽院では指揮科が「オーケストラ指揮」「吹奏楽指揮」「合唱指揮」の3つのクラスに分かれており、吹奏楽指揮クラスでは軍楽隊で演奏しているような楽器プレーヤーが主に学んでおり、勉強するレパートリーも異なっていました。そのようなわけで、帰国するまで吹奏楽に触れるチャンスがなかったのです。

とは言っても、どちらも同じ音楽であることには変わらないわけで、こちらだと「いいえ」という答えになりますから外野から見ると少しわかりにくいかもしれません。

さて、その吹奏楽の世界に足を踏み入れてみると、今まで知らなかった魅力的なレパートリーの数々、そしてスクールバンドの驚異的なレベルの高さにすっかりハマってしまいました。

起源は軍楽隊に遡るだけにマーチは元気で親しみやすい曲が多く、また、初心者や中級者向けの教育的な作品もアメリカを中心に数多く作曲されています。しかし、時にこの分かり易さが仇となり、一部の人たちからは芸術性が低いと不当に見做されていたりもしたのです。

 

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(1)

 

そこで、連想されるのが、50年ほど前にアメリカワインが置かれていた状況です。

今でこそニューワールド(新世界)のワインが幅広く消費されるようになっていますが、ワインと言えばヨーロッパ、中でもフランス産が一番!と思われている方もまだまだ多いことでしょう。1970年代にはなおさらでした。当時のアメリカワインは国内で消費される安ワインが主流で、国際的な地位はおろか、アメリカ国内でも高級店はフランス産という時代でした。

ところが、1976年パリで伝説となる試飲会が開催されます。後に「パリスの審判」と呼ばれることになるこの試飲会では、8本のフランスワインと12本のカリフォルニアワインが、中身がわからない「ブラインド・テイスティング」方式で供されました。審査を務めたのは、9名のフランスを代表するワインの専門家たちです。

誰もがフランスの圧勝と予想するなか、結果は赤白どちらの部門でも最高点を得たのは何とカリフォルニアワインだったのです。

白ワインは1973年産シャトー・モンテレーナのシャルドネ、赤ワインは1973年産スタッグス・リープ ・ワイン・セラーズのカベルネ・ソーヴィニヨン。モンテレーナは歴史こそ1800年代まで遡るワイナリーでしたが、スタッグス・リープ・ワインセラーズは1972年に出来たばかりの新興ワイナリーでした。

対するフランスからは、赤はボルドー1級シャトー・オーブリオン1970年やムートン・ロートシルト1970年、白はブルゴーニュ・グラン・クリュのバタール・モンラッシェ1973年など名門・銘醸のワインばかりが選ばれていました。

この衝撃的な結果が世間に広まるにつれ、「フランスワインには熟成が必要だ」とか、「出された順番が悪かった」とか、さらには「採点方式に問題がある」とか「陰謀だ」とか、いろいろと言い訳やら尾ひれがついてまわったようですが、これを機にアメリカワインは一躍世界的名声を獲得したことは間違いありません。

もちろん、この成功の影には知られざる努力の歴史がありました。19世紀末のフィロキセラと呼ばれる害虫による大被害、そして1920年から13年も続いた禁酒法時代で荒廃したワイン産業を立て直すために、多くの先人たちがワインの質の向上やマーケティングなどで苦労を重ねてきていたのが、ここで一気に花開いたのです。

カリフォルニア大学デイヴィス校の醸造学部で続けられた研究や、フランス人が興したボーリュー・ヴィンヤードに招かれて渡米したロシア生まれの醸造家アンドレ・チェリチェフの活躍が礎となりました。彼の元で働いた若手が次々と独立し、自身のワイナリーを立ち上げます。モンテレーナのシャルドネを作ったガーギッジや、スタッグス・リープ・ワイン・セラーズのワレン・ウイニアルスキーもチェリチェフに師事していました。
 

 

~今月の一本~

 

ロバート・モンダヴィ ナパ ヴァレー カベルネ・ソーヴィニヨン

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(2)

 

カリフォルニア・ワイン産業の隆盛を支えた人物として忘れてならないのが、ロバート・モンダヴィです。イタリア移民を両親に持つ彼はスタンフォード大学で経済と経営を学び、その後、一家をあげてワイナリー経営に乗り出します。しかし、1960年代半ば52歳の時、方針をめぐって母・弟と対立、独立して「ロバート・モンダヴィ・ワイナリー」を立ち上げました。

「リサーチと革新を心から信じる人間だ」と本人が述べている通り、醸造ではヨーロッパの伝統と職人技を取り入れながらも、最新の知見・テクノロジーとうまく組み合わせました。また、ワイナリーでコンサートや展覧会を開催したり、醸造所見学を一般向けに開放するなど、ワインツーリズムの先駆けとなるような企画を打ち出していきます。1979年にはシャトー・ムートン・ロートシルトのオーナー・ロートシルト家との共同経営で、「オーパス・ワン」を世に送り出すなど、大胆なプロジェクトにも取り組みました。
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~今月の一曲~


《エル・カミーノ・レアル》(1985年)

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(3)

 

今年生誕100年を迎えるアメリカの作曲家アルフレッド・リードは、オーストリア移民の両親のもと1921年1月25日に誕生し、その生涯を吹奏楽に捧げた音楽家です。日本でも、1965年に《シンフォニック・プレリュード》が1970年には《音楽祭のプレリュード》が吹奏楽コンクールの課題曲に選ばれ、人気が広まりました。

リードの作品は、甘美なメロディーと華やかなハーモニーに彩られた美しい作品が多く、《エル・カミーノ・レアル》もそのような一曲です。

スペイン語で「王の道」を意味するこの作品は、副題に「ラテン幻想曲」とあるように、その昔、スペイン人の宣教師たちが開拓した布教の道を、王が隊列を作って通っていく情景を、自由な想像力を羽ばたかせて表現されています。

現在、この道はアメリカ西海岸を南北に縦断する国道101号線の一部となって残っています。1769年に作られたメキシコ国境近くのサンディエゴ教会を皮切りに北上、伝道(ミッション)の終着点は1824年のサンフランシスコ・ソラーノ教会となっており、そこはカリフォルニア・ワインの名産地ソノマの中心部です。モンダヴィの本拠地ナパ・ヴァレー・オークヴィルとは山を挟んで隣同士に位置しています。

晩年の氏の日本での活動は、まさに吹奏楽の伝道師とも呼べるもの。ぜひ、その生涯に思いを馳せながらリードの音楽とカリフォルニア・ワインを味わってみてはいかがでしょうか。 

 

 

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Text&Photo(ワイン):野津如弘

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