第七回 伊福部昭とウイスキー【名曲と美味しいお酒のマリアージュ】

今回は映画《ゴジラ》のテーマでよく知られる作曲家・伊福部昭について書いてみたいと思います。

伊福部昭は1914年、釧路に生まれました。伊福部家の祖先は因幡国(現在の鳥取県東部)の豪族で、宇倍神社の神職をなんと65代に亘って務めていた名家。祖父の代に神職を離れ、父・利三は警察官僚として北海道へ赴任、昭が生まれたのは当時官舎のあった釧路川沿いの幣舞という場所でした。小学校に入ると網走、札幌と転居、さらに3年生の時、父が町長となった十勝の音更町へと移ります。

 

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(1)

右に見えるのが釧路川にかかる弊舞橋。奥の小高くなったあたりが伊福部の生誕地。

 

その父の元には、しばしばアイヌの人たちが相談に訪れていたといいます。酒を酌み交わしながら相談に乗った利三はアイヌの人から慕われていたようです。また昭もアイヌの子どもたちとよく一緒に遊んだり、集まりに顔を出したり、と後の伊福部作品の根幹を形作った時期でもありました。

中学は札幌第二中学(現在の札幌西高等学校)に進学。そこで、伊福部を作曲家へと導くことになる後の音楽評論家・三浦淳史との運命的な出会いをします。音更にいた頃にはすでにギターやマンドリンに触れ、中学に入るとヴァイオリンの練習に励むなどしていた伊福部に、三浦は作曲を勧めたのでした。

こうして書き始められたのが、1933年に書き上げられた《ピアノ組曲》です。北海道帝国大学農学部に進学していた伊福部は、この時2年生で、文武会オーケストラのコンサートマスターも務めていました。翌1934年には三浦や早坂文雄らと共に「新音楽連盟」を結成。エリック・サティやダリウス・ミヨーといった当時の前衛的な作品を紹介しています。また様々なレコードも聴き漁ったようで、その中には、ストラヴィンスキーの《春の祭典》やドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》なども含まれていました。

北大卒業後は、林務官として厚岸に赴任します。とは言え、作曲家の道を諦めたわけではなく、コツコツと勉強を続け、1935年には《日本狂詩曲》を作曲。この第2、3楽章をコンクールに応募し、チェレプニン賞を受賞します。翌年、来日したチェレプニンに短期間ではありましたが、師事。作曲法・管弦楽法を学びました。厚岸に戻り、仕事の傍ら曲を書き続け、37年に《土俗的三連画》を完成。チェレプニンに献呈しています。厚岸での暮らしは1940年、仕事を辞して札幌に出るまで続いたのでした。

 

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(2)

屈斜路湖

 

 

~今月の一曲~


伊福部昭:シンフォニア・タプカーラ(1954年初稿、1979年改訂)

 

アイヌの言葉で「立って踊る」という意味の「タプカーラ」という名前を付けられたこの作品は、三浦淳史に献呈されています。初演は1955年、ファビアン・セヴィツキー指揮・インディアナポリス交響楽団。日本初演は翌56年、上田仁指揮・東京交響楽団。改訂版初演は1980年、芥川也寸志指揮・新交響楽団。

子どもの頃、実際に見聞きしたアイヌの歌と踊りがインスピレーションの源となっており、三浦との出会いも含めて当時を懐かしむ気持ちを込めて作曲したのでしょう。改訂版には第1楽章の冒頭には、遥か昔を偲ぶかのようなコントラバスの持続音を背景にチェロとファゴットが奏でる序奏、そしてその旋律を元にしたオーボエとコール・アングレのアレグロの導入部が付け加えられました。

このアレグロ部分は8分の4拍子、3拍子時には5拍子や6拍子も現れ、曲が進むとさらに細かく16分の7拍子や3拍子、5拍子が1小節ごとに交代するなど、リズムを捉えて演奏するのは難しいはずなのですが、この曲をある市民オーケストラと演奏した際、意外なほど練習がスムーズに運び、驚いた記憶があります。

これが例えばストラヴィンスキーなどですと、変拍子の練習は困難を極めるのですが、伊福部だとそれが、単に拍を数えて譜面通りの正しい演奏というのではなく、ある種のノリのようなものが自然に感じられ、いろいろ説明しなくともカタチになる、という体験をしました。

第2楽章はハープの素朴な伴奏にのせ、どこからともなくフルートが聴こえてきて、もの悲しげな旋律を奏で始めます。この冒頭の静謐な空気感は、しんしんと降り積もる雪景色を彷彿とさせます。

第3楽章はヴィヴァーチェ(4分音符=168という速い速度)で繰り広げられる「タプカーラ」。少年時代の伊福部は、アイヌの人たちとの酒宴で、人々が興に乗ってくると、自然と立ち上がり歌い踊り始めるのを実際に見ており、その様を「自発的な動き」で踊ると語っています。ある程度の決まった動きはあったものの、そこで語り歌われる詩や振付けは即興的な要素をかなり含んでいたのでしょう。この楽章では、伊福部自身が創作した「タプカーラ」を聴くことができます。

 

 

~今月の一本~

 

国産ウイスキー

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(3)

 

2014年に放映されたNHK朝の連続ドラマ『マッサン』を覚えてらっしゃる方も多いかと思います。「日本ウイスキーの父」と称される竹鶴政孝と妻リタをモデルに、国産ウイスキーに生涯を捧げた男とそれを支える妻の苦難と愛情を描いた物語で、国産ウイスキーの人気を一気に広めた作品でした。

その「マッサン」こと政孝が独立した際に、選んだ土地が北海道余市。本場スコットランドの風土気候に近い条件を兼ね備え、かつ原料となる大麦、ピートと呼ばれる泥炭を容易に入手でき、そして良質の水に恵まれた理想的な場所でした。

この聞き慣れない泥炭とは、植物が完全には分解せずに湿地帯の表層に堆積した泥状のもので、ウイスキーの原料となる大麦を発芽させた後に乾燥させる際に焚かれます。この時、麦芽にスモーキーな香りが付くのですが、それはウイスキーに大地から与えられる個性と言えるでしょう。

 

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(4)

釧路湿原

 

日本ではピートが採掘されるのは主に北海道で、余市から近い石狩平野のほか、釧路湿原にも堆積しています。伊福部が20代初めに暮らした厚岸に、2013年、新しい蒸溜所が作られました。スモーキーなアイラモルトを目指した厚岸ウイスキーは中々入手困難でまだ口にしたことはありませんが、いつかまた伊福部作品を振る機会があれば、終演後にじっくりと味わってみたいと思っています。合わせるのはやはり厚岸産の牡蠣でしょうか。

伊福部本人はもっぱら日本酒を好み、ロゼワインも愛飲したようです。厚岸時代には、釧路の「福司」や根室の「北の勝」なども飲んだことでしょう。根室と言えば秋刀魚ですが、近年は不漁続きで、はたして今年はどうなるのか心配です。脂ののった秋刀魚を北の勝でさっぱりと流し込みたいものです。

 

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(5)

霧の釧路港​​​​​​​

 

 

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Text&Photo:野津如弘

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