C'est bon!~クラシック名曲つまみ食い vol.2 ラヴェル ~スペインへの憧れ~


その精緻で美しい書法から“スイスの時計職人”“管弦楽の魔術師”とも評されるラヴェル。きらびやかさや色彩の豊かさにうっとりとさせられる、フランスを代表する作曲家といえる存在です。しかしながら、彼の母はバスク地方(フランスとスペイン両方にまたがる地域)出身で、ラヴェルにもその血が流れており、スペインという国、その音楽への強い憧れがあったのです。とくにある時期を境にラヴェルはスペインの要素を取り入れた作品を多く書くようになります。今回はスペインの香りただよう作品を通して、ラヴェルの情熱的な面を探っていきましょう!

洗練された雰囲気とスペインの香りの融合


♪『鏡』より「道化師の朝の歌」

5曲から成るピアノ曲集『鏡』の第4曲です。漫画『のだめカンタービレ』でパリ留学を開始して間もないのだめが弾いていたシーンもありましたね。曲集のなかでも最も技巧的な作品であり、『鏡』という曲集の原題とほかの4曲の原題がフランス語で書かれているのに対し、「道化師の朝の歌」のみ原題が“Alborada del gracioso”とスペイン語で表記されているという特徴があります。この“gracioso”という言葉は、スペインの黄金世紀の演劇の喜劇役者を指しますが、同時に“伊達男”といった意味も持ち、正確にほかの語に置き換えることが難しいため、日本語訳の“道化師”というのも正確ではないようです。ギターやカスタネットの音色の模倣、フラメンコのステップが溶け込みながらも、舞曲ではなく、描写音楽としての性格が強い作品となっています。ピアノ版はラヴェルらしい洗練された雰囲気があり、“伊達男”感が強いですが、オーケストラ版ですとスペインの雰囲気がわかりやすく伝わってきて、さまざまなカラーをもった作品だということがあらためておわかりいただけると思います。

・ピアノ版
《鏡》 -ピアノ独奏のための: 第4曲: 道化師の朝の歌
ピエール=ロラン・エマール

・管弦楽版
ラヴェル: 道化師の朝の歌
フランス国立リヨン管弦楽団/レナード・スラットキン(指揮)


♪ハバネラ形式の小品(ヴォカリーズ)

“ヴォカリーズ”というタイトルが示すように、元々は声楽曲、しかも練習曲として書かれたものでした。“ハバネラ”とは2拍子のリズムを持ったキューバのハバナの舞曲ですが、起源はスペインにあります。官能的な旋律と美しい響きにうっとりとしてしまいますが、その雰囲気にのまれてしまうと本来の作品の魅力は出てきません。練習曲らしく正確なリズムや美しく澄んだ音色で演奏(歌唱)してこそ、この作品に反映されたスペインの香りがそっと香り立ってくるのです。ラヴェルの精緻な書法とスペインのイディオムが見事に融合したこの作品、いろいろな楽器の音色でその世界をぜひ味わってみてください。
 

・ヴァイオリンと管弦楽版
ラヴェル: ハバネラ形式の小品(H. A. オエレによるヴァイオリンと管弦楽編)
ジェニファー・ギルバート(ヴァイオリン)/フランス国立リヨン管弦楽団/レナード・スラットキン(指揮)

・チェロとピアノ版
ハバネラ形式のヴォカリーズ
ミッシャ・マイスキー/ダリア・オヴォラ
 

♪歌劇『スペインの時』より「ああ! みじめなアヴァンチュール」

ラヴェルの1幕からなるオペラからの1曲をご紹介します。スペインのトレドにある時計屋の奥さんがヒロインで、彼女の気の多さが巻き起こすドタバタコメディのオペラとなっています。ラヴェルは『子供と魔法』というオペラも書いていますが、『スペインの時』も『子供と魔法』も、短いなかにあらゆる要素や色彩を凝縮しており、まるでおもちゃ箱のようなイメージを観客に与えます。劇的なドラマ性や濃密な人間模様といったものからは遠いものの、ラヴェルならではの人に対するあたたかい眼差しを発見できるのではないでしょうか。アリア「ああ、みじめなアヴァンチュール」は、フラメンコふうの音楽に乗せて、情熱的なヒロインのコンセプシオンが間男と楽しもうとしつつも、いろいろな偶然が重なってうまくいかず、やきもきしている心情を力強く歌い上げています。なお、このオペラを書いてから、ラヴェルはスペインの要素を積極的に取り入れた作品を多く書くようになりました。

Ravel: L'heure espagnole, Comedie en un acte, M.52 - ”Oh! la pitoyable aventure!”
Pumeza Matshikiza/Aarhus Symfoniorkester/Tobias Ringborg
 

「スペイン人よりスペイン的」!?


♪スペイン狂詩曲

ラヴェルの初めての本格的な管弦楽作品です。スペインの国境に近いフランスのバスク地方出身者であった彼の母親は、ラヴェルにバスク地方の民謡を歌ったり、地方の様子を話してくれたそうです。そんな彼はスペインに対して強い“憧れ”を持つようになりましたが、それがいちばん強く表れた作品がこの管弦楽曲でしょう。スペインの要素を取り入れた作品のなかでもとくに、スペインの風景や熱気、香り、情熱といったものを感じさせます。ラヴェルと親交のあったスペインの作曲家、マニュエル・ファリャが「スペイン人よりスペイン的」という言葉を残しており、ラヴェルにとっては最高の賛辞だったはずです。第1曲の「夜への前奏曲」は冒頭の下行音型が特徴的で、これが繰り返されながらむせかえるような暑さのスペインの夜が描きだされていきます。なお、この音型は第2曲「マラゲーニャ」と第4曲「祭り」にも登場し、ひとつの夜の世界が全曲で作り上げられていることがわかります。第3曲「ハバネラ」のみ2台ピアノのための組曲『耳で聴く風景』からの転用のため、この下行音型のモティーフが登場しませんが、官能的で静かな情熱に満ちたハバネラとなっており、やはりスペインの夜を見事に表した曲となっています。

スペイン狂詩曲: Ravel: 1. Prelude a la nuit [Rapsodie espagnole]
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団/ピエール・ブーレーズ

スペイン狂詩曲: 第2曲:マラゲーニャ
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団/ピエール・ブーレーズ

スペイン狂詩曲: 第3曲:ハバネラ
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団/ピエール・ブーレーズ

スペイン狂詩曲: 第4曲:祭り
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団/ピエール・ブーレーズ


 

♪ボレロ

“ボレロ”とは舞踏会や劇場で踊るために18世紀末のスペインで作られた舞曲のひとつで、ラヴェルによるこの作品はバレエ音楽として書かれました。小太鼓が刻み続ける一定のリズムにのって、さまざまな楽器が交代しながら2つのメロディを繰り返す楽曲です。同じメロディでありながらも、異なる楽器によって奏でられるその旋律からは、次々と移り変わる色彩が聴こえてきます。エレガントで、かつスペインの情熱も漂う不思議な雰囲気に耳を傾けていると、いつの間にか空気が変わってくるような気さえしてくるでしょう。

ラヴェル: ボレロ
フランス国立リヨン管弦楽団/レナード・スラットキン(指揮)


♪ピアノ協奏曲ト長調

第一次世界大戦や最愛の母親の死によって心に大きく傷を受けたラヴェルはひきこもりがちになってしまいますが、創作意欲は衰えるどころかますます強まり、次々と傑作が生みだされていきます。ピアノ協奏曲ト長調もそのひとつです。この曲には、作曲前に行ったアメリカ旅行で出会ったジャズの影響が随所に表われているのですが、とくに第1楽章では、そのなかにスペインの民謡を思わせるような旋律が聞こえてきます。亡くなった母への想いを馳せつつ書かれた部分もあるのでしょうか? ただ、ラヴェル本人がこの曲について「モーツァルトやサン・サーンスと同じ精神で書かれている」と語っていることから、スペインやスペインの音楽についてはとくに意識をしていなかったのかもしれません。あまりにも自然にスペインの音楽が溶け込んでいるので、もはや彼にとってはみずからの語法の一部として自然に溶け込んでしまったのかもしれませんね。

ピアノ協奏曲 ト長調: 第1楽章: Allegramente
マルタ・アルゲリッチ/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団/クラウディオ・アバド

ピアノ協奏曲 ト長調: 第2楽章: Adagio assai
マルタ・アルゲリッチ/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団/クラウディオ・アバド

ピアノ協奏曲 ト長調: 第3楽章: Presto
マルタ・アルゲリッチ/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団/クラウディオ・アバド
 

♪ドゥルシネア姫に想いを寄せるドン・キホーテ

ラヴェルが残した最後の作品は、意外にも歌曲、しかもスペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスの小説の登場人物である“ドン・キホーテ”を題材とした映画『ドン・キホーテ』(伝説的な名バス歌手、フョードル・シャリアピンが主演です)のための音楽として依頼されて書いたものでした。ただ、この映画会社は複数の作曲家に同じ依頼をしており、選ばれたのはジャック・イベールの作品だったため、映画音楽としては採用されませんでした。ドゥルシネア姫に愛を語る「ロマネスクな歌」、愛の成就を願う「叙事的な歌」、叶わぬ恋を酒で忘れようと陽気に歌い上げる「乾杯の歌」の3つの曲からなる歌曲集で、ピアノ・パートにはスペインの舞曲を思わせるリズムが随所から聞こえてきます。もとは依頼されて書かれたものですし、ラヴェル自身はこの後もまだまだ作品を書こうと思っていたはず(不幸な事故により脳に障害が残り作曲ができなくなってしまいました)なので、純粋に“集大成”の作品というわけではないのですが、それでも彼ならではの書法とスペインの音楽との融合が素晴らしい形で実現しています。全体からはどこかノスタルジックな雰囲気もただよい、ドン・キホーテという人物に自分を投影しながら人生に思いを馳せるラヴェルが見えてくるようでもあります。

Ravel: Don Quichotte a Dulcinee, M. 84 - 1. Chanson romanesque
Camille Maurane/Orchestre des Concerts Lamoureux/Jean Fournet

Ravel: Don Quichotte a Dulcinee, M. 84 - 2. Chanson epique
Camille Maurane/Orchestre des Concerts Lamoureux/Jean Fournet

Ravel: Don Quichotte a Dulcinee, M. 84 - 3. Chanson a boire
Camille Maurane/Orchestre des Concerts Lamoureux/Jean Fournet


スペインとその音楽を愛し、みずからの色彩豊かな音楽と融合させることで生み出された数々の楽曲をお楽しみいただきました。フランスの作曲家でありながら、スペインに強い憧れを抱き続けた作曲家であるラヴェルの想いを感じていただけたのではないでしょうか?

次回は10月5日(金)の更新です。そのときにはおそらくこの暑さからも抜け出せていると思いますので、個人的に秋を満喫し、冬を迎えるにふさわしい作曲家の筆頭に上がる作曲家、ガブリエル・フォーレの作品をご紹介して参ります。