フェスを彩るティピ職人・斎藤力夫の30年 【Behind the scenes】


皆さんは「ティピ」をご存知だろうか?
ネイティブ・アメリカン(インディアン)の移動用住居として用いられている、円錐形構造のテントといえば、千葉県にある夢の国のウエスタンランド内アトラクションや、西部劇映画などで見たことがあるという人も居るだろう。昨今では野外の音楽フェス会場などでも目にする事が多くなっているので、思い浮かべるのはそう難しくないはずだ。
そんなティピを90年代から数々のフェス会場などに設営してきた御年67歳のベテランティピ職人、斎藤力夫さんに、シーンの舞台裏を支えるポジションから垣間見るこれまでに参加してきた音楽フェス遍歴や、ティピを設営するようになった経緯を「The Labyrinth 2017」の会場にて伺った。

フェスを彩るティピ職人・斎藤力夫の30年(1)

ティピとの出会いは、旅と自給自足のオーガニック・ライフ

─そもそも何故アメリカン・インディアンの移動用住居を日本で建てるようになったのですか? ティピとの出会いと、きっかけを教えてください。

長野県の美麻村に居た時に、近くに安曇野天幕社というティピを建てる事を生業としているキヨシという男がいまして、彼との出会いがティピに興味を持ったきっかけです。
以前から山の中での生活、一人きりでの自給自足というライフスタイルに憧れていたのですが、86年頃に実家を出て長野の古民家を借りて住み始めました。キヨシとの出会いのタイミングで、彼から道具を買って、長野の山奥に自分でティピを建ててみたのが初めてティピを建てる経験となりました。ティピでの生活をはじめたのは、90年頃だったと思います。

─その時はどの位生活されたんですか?

それでも一回毎に半年ぐらいですかね……冬になるとやっぱり寒くて無理なんですよね。暫くは、春先から11月ぐらいまではティピでの生活をして寒くなると松本市のほうまで降りて生活をしていました。

─そもそも、山での自給自足の生活に憧れを抱いたきっかけは、どういう事だったんですか?

実家のあった福島を離れたかったんです。それと、インドヘの旅がそもそも、そうした事への興味に繋がっているんだと思います。はじめてインドに行ったのは82年だったと思います。福島を離れたかったという思いと同じく、とにかく日本に居るのが嫌だった時期に「卒業旅行でインドに行ってきた」と、いう知人の話を聞いたのがきっかけで「僕も行こう!」と思い立ち、ふらっと旅に出てしまいましたね……。

─とはいえ、まだその頃は、今のように格安航空券などが気軽に手に入る時代ではなかったですよね?

そうですね。「タイに飛んで、そこでその先のチケットを買うと安い」という話を聞いていたので、僕もその方法を真似て向かいました。

─僕も90年代はその方法で海外へよく行っていました。まずカオサンロードの安宿にチェックインして、そのエリアに数多くあるトラベルエージェントでインド行きのチケットをアレンジする……。

そして、日本に帰る時には「タイ~日本間の往復1年オープン」というチケットを買って帰国する。

─リキさんと全く同じ方法の旅を、僕もその10年後にやっていました! その方法で帰国すると、タイ行きのチケットが手元に残るので、1年以内にまたタイに飛んで、そこから次の旅先をアレンジする事が出来るので、毎年安い金額で航空券がアレンジ出来るループが生まれるし、海外に出るモチベーションがキープできるんですよね……。インドヘ行かれた際はどの辺を廻られたのですか?

その大学生に「GOAのニューイヤーパーティーが楽しかった」という話を聞いていたので、まずGOAを目指しました。

─その時代はヒッピーの聖地という位置付けと共に、ビートルズがインドを目指した事などもあり、まだロックが全盛の時代ですよね?

そうですね。ザ・フーが残していったギターアンプなどを使ってコンサートが開催されていたという話も聞きました。

─90年代のGOAのパーティーでは「かつてピンクフロイドが置いていったサウンドシステムを未だに使っている」という話も聞いた事があります。リキさん自身もその当時はそうした音楽に傾倒していたのですか?

若い頃はローリングストーンズからビートルズまで。ずっと洋楽のロックが大好きでした。
GOAのビーチ沿いでは昼間はフリーマーケットが開催されていて、日が暮れるとロックコンサートが始まる。特に有名なバンドがくるというわけでもなく、そこにいる人達が楽器を持ち寄って自由な感じで演奏が始まるような感じでしたね。インドはビートルズの影響もあり、リシュケシュにも足を運びました。

─話が前後しますが、ではインドから帰国してからティピでの生活をされる事になるわけですね? そこまでの経緯を教えてもらえますか?

インドから帰国後は、しばらくあちこちを転々としていましたね。そんな時に長野県の美麻村にあった「遊学舎」と、言う所に辿り着いたんです。そこは廃校になった小学校を彫刻家が自分のアトリエ用に使っていたようなのですが、自分の工房だけでは持て余してしまうので、カルチャーセンターのように人が集まれる場所を併設した所なんです。そこにはアーティストや風変わりな人達が多く集まっていて、そこでキヨシに出会った事がティピでの生活を始めるきっかけになるのですが、インドから帰ってからは自給自足での生活という事にも凄く興味があったんです。

ティピとの出会いは、旅と自給自足のオーガニック・ライフ(1)

─刺激的なアーティスト達が集まる空間から、徐々に音楽フェスシーンに関わるようになっていく……ということですね。リキさんの初めての野外イベントの経験はどういうものだったのでしょうか?

遊学舎に集まっていた仲間達に連れられていった「いのちの祭り」(※88年に開催され、その後12年に1度大規模開催が続いている「日本の元祖野外フェス」)が初めての野外音楽イベント体験でした。その時は純粋に参加者として行って楽しんでいましたし、自分がティピを建てるようになるとはまだ考えもしていなかった時期です。その後しばらくして、キヨシが行けなくなってしまった会場に代役を頼まれて建てにいった事からでしょうかね……。それを機に幾つかの現場を手伝っていましたが、彼の流儀と僕のティピに向き合う姿勢というのがちょっと違うなあ……と、違和感を感じ始めてからは、自分一人で「天幕」を名乗って建て始めるようになりました。

─リキさんのティピを建てる時の流儀とは?

そもそもが、ネイティブ・インディアンの住居であり、神聖な空間なわけですよね。
なので、彼らに対する感謝の気持ちや、お金儲け第一でなく「ティピを建ててほしい」と声をかけてくれる人々の要望に沿ったものを誠心誠意建ててあげたいと思う気持ちでしょうか……。90年に入りちょうどダンスミュージックのパーティーが野外で開催され始めた頃で、ジャンルとしてはトランス黎明期のイベントが多かったですね。以来、今日までずっとティピを建て続けています。

本栖湖で行われた「SOLSTICE」(2002年)

本栖湖で行われた「SOLSTICE」(2002年)


フジロック、サマーソニック 2大ロックフェスを見守り続けるティピというシンボル

─これまでどのようなイベントで建ててこられたんでしょう?

「EQUINOX」、「SOLSTICE」といったものをはじめ、ありがたい事に、「フジロック」と「サマソニ」などは毎年声をかけてもらっています。具体的には「フジロック」のフィールド・オブ・ヘヴンエリアと、「サマソニ」のキャンプサイトのシンボル的なオブジェ用途ですね。

─日本の2大ロックフェスティバルで建てられているというのは凄い事ですね。また、今回取材させて頂いた「ラビリンス」もイベントのシンボル的な存在としてなくてはならないものになっていますよね?

「ラビリンス」は第一回目から今回までずっと担当させてもらっています。なので、今年で17回目になりますかね……。

─「ラビリンス」のメインステージとなるセンターのティピは、30フィート(9.144メートル)あるとの事ですが、柱となる木材の運搬だけでも物凄い労力ですよね? 調べてみると、当時のティピは、役割的に「女性が建てるもの」という事だったようですが、そんな大きいものは流石に女性には建てられないのではないでしょうか?

確かにティピを建てるのは女性の仕事ですが、あくまでもそれは自分たちの居住のサイズに限ってのことだったようです。大きなサイズのものは男達が集まって建てていたようですよ。

─なるほど。では、サイズにもよると思いますが、一棟建てるのに必要な人数と時間は?

この30フィートのもので、ただ建てるだけということであれば8人がかりで2時間程度という感じですが、こうした現場はステージの設営やスピーカーの設置などとバランスを取りながら建ててゆくので、2時間では終わらないですね……。最低でも3時間はかかってしまう。
また、本来であれば支柱は木材なのですが、それだととにかく重いんです。丈夫ではあるんだけれど、木材の場合人数を増やさないと建てるのが難しい。そんなこともあって最近は、竹で代用しています。こうしたフェスティバルの場合、常設で何ヶ月も保たせるということではないので、竹の強度でも充分ですし、木材よりも圧倒的に軽いし安く上がるんです。

フジロック、サマーソニック 2大ロックフェスを見守り続けるティピというシンボル(1)

─それにしても10メートルを超える竹を運んでくることが、まず至難なのでは?

ティピを建てる工程で一番大変なのが竹の切り出しです(苦笑)。

─切り出しから始まるんですね!?

最近は竹林も荒れてしまっていて、切った竹を運び出すのがとても大変なんです。そうした荒地を間伐する意味もあり切り出しているんですが……。車も近くに寄せられませんし、とにかく運び出すのには一苦労です。

─今回は何本ぐらい用意されたんですか?

120本程です。今回は6張り建てるのですが、30フィートのティピに20本、22フィートのものに17本使う感じなので、予備も含めるとそのくらいは用意しておかないといけないんですよね。

─資材調達から大変なのですね……。

あとは、お巡りさんに捕まるんですよね……(苦笑)。4トン車で12メートルの竹を運んでいたら白バイに止められて、「お前は何を運んでいるんだ! 署まで来い」と言われて、始末書を書かされたり……。そういう事を繰り返しながら「これだけの長さのものを運ぶには事前に道路使用許可証を取得しなければならない」などの事をその都度学びました。初期の頃は、ハイエースの屋根に規定以上の長さの竹を積んでいるので、キップ切られてしまいましたし……。小さなイベントだと予算が少ないので、彼らも4トン車の費用を捻出できないんですよね。仕方ないので、彼らの予算内で収めてあげるために、自分のハイエースで竹を運んで反則金を払う羽目になるという……(笑)。頼まれたら極力張りには行きたいのだけれど、ちょっとそういうことになる恐れのあるイベントは流石に断るしかないんですよね。自分が必要とされるのであれば体が動くうちはどこにでも建てに行きたいんですけれどね。

─天幕は自分たちで作られているんですか?

僕はアメリカ製のものをメーカーから取り寄せていますが、日本にも天幕作っている人は結構居るようです。知り合いにも何人かいますよ。

─意外に需要があると。リキさん以外にも日本でこうしたティピを建てている人たちはいらっしゃるんですね。

結構居るみたいですよ。ティピを建てている人同士の横の繋がりが全然ないので、僕自身は数を把握できていませんが。

─そうだったんですね! 僕なんかは安易にいろんなイベントで見かけるティピは全部リキさんが建てているんだとばかり思っていました……。

以前は頼まれればあちこちに建てに行っていたので、そういう時代もありましたが、最近は歳も歳ですし、以前ほどあちこちに建てに行かなくなりましたね。定期的なものでいうと、「フジロック」「サマソニ」「ラビリンス」、あとは知り合いに頼まれる小さなイベントを年に数回くらいでしょうか。

フジロック、サマーソニック 2大ロックフェスを見守り続けるティピというシンボル(2)


─いく先々の会場でティピを建て終わって撤収までの間、音楽を楽しむ余裕はあるのですか? お気に入りのバンドがあれば是非教えてください。

様子を見て張りを調整したり……といった微調整をしながら面倒は見ていますが、そうですね、自分もフェス中は楽しませてもらっています。
最近だと宮古島出身のバンド、ブラック・ワックスがカッコイイなあ……と思いましたね。
 


あとは、ダチャンボは大好きなバンドです。
 


海外のアーティストだとSYSTEM 7も好きで、数年前のオールナイトフジでは土砂降りの中でもなりふり構わず踊っていましたね。
 


荒れる野山 雨がつきものの野外フェス 苦難を乗り越えフェスに彩りをもたらす達人のティピ!(1)

─土砂降りといえば、日本の野外フェスは雨がつきものですよね。濡れてしまったティピの保管やメンテナンスはどうされているんですか?

そのまま仕舞ってしまうとカビだらけで使えなくなってしまうので、フェス帰りの道中で見つける広めの運動公園や駐車場に広げて1日中干してから帰ると言う事が日常茶飯です(笑)。

─仕事として建てる以前から数えると、かれこれ30年近くティピを建てているわけですよね? いつ頃から「自分自身が納得の出来る張り」というティピが建てられるようになったんでしょうか?

ティピって建てようと思えば誰でも建てられるものだと思うんです。建てること自体はそんなに難しいものではないんですよね。でも、その時の場所の状態や条件に合わせて上手く収めるという建て方、依頼主の要望やそのティピの使用用途に合った建て方を調整するという完璧に自分でも納得のできる仕上がりに建てられるようになったのは本当にここ5~6年の事です。

─20年以上模索してやっと自分のティピが建てれるようになったと!?

そうですね。現実的に試行錯誤の場や、チャンスを与えてくれているという事でいうと、毎年このように自由にやりたいようにやらせてくれる「ラビリンス」には本当に感謝しています。

─ラビリンスが17周年という事は、そのうち10年はずっと試行錯誤の中建てていたとなると、何事も技を極めるには相応の時間を要するわけですね……。今、リキさんのアシスタントをされている方々も、独り立ちして自分でティピを建てられるようになるまではまだまだ時間はかかるでしょうし、今後も後継者を育てていかなければなりませんよね?

自給自足の生活で野菜も一人では消費しきれない量を育てていましたし、そうした野菜作りやティピ制作をみんなに覚えてもらうようなワークシショップなどの開催も考えていたんですが、そんな矢先に東日本大震災が起きてしまい……。そうしたプランは全部中断してしまいました。自分は震災後も自給自足を続けていましたが、福島で野菜を作っても皆に喜んでもらえないし、自分自身も作っていて非常に複雑な気持ちがあります。親戚もやはり福島で牛を育てていたので、肥料用に牛糞などをもらっていたんですけれど、彼らも酪農を辞めてしまいましたし、いくら米も野菜も有機農法で作っていても、肝心な土地が汚染されてしまっているんじゃ、やる意味がなくなってしまう……。放射線量の数値的には大丈夫とは言われているものの、原発事故から2年経ったあたりで農業に関しては全部辞めてしまいました。

荒れる野山 雨がつきものの野外フェス 苦難を乗り越えフェスに彩りをもたらす達人のティピ!(2)


─3.11後、否応無しにライフスタイルを変えざるを得なくなってしまったわけですね……。

自給自足生活を今後どうやっていこうかは、何も良い案が浮かんでこないんですよねえ……。でも、大好きな音楽の現場で、こうしてティピ建てることが仕事になっているというライフスタイルに関しては、非常に幸せなことだと感謝しています。


Text,Photo&Edit:KOTARO MANABE
Special Thanks:The Labyrinth 2017
http://www.mindgames.jp/
 

 

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