劇的な和解でジャマイカに平和の可能性を見せたボブ・マーリィ

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  • 1970年代後半、ジャマイカは混沌としていた。
    二大政党のJLPとPNPによる抗争がエスカレートし、政治家や支持者をはじめとして多くの者が凶弾によって命を落としていたのだ。
    抗争は治安や秩序の悪化を招き、誰もが犯罪に巻き込まれるかもしれないという不安の中で暮らしていた。

    1976年12月、ボブ・マーリィはそんな状況を打開しようと両党に平和を呼びかけるコンサート「スマイル・ジャマイカ」を計画する。
    しかし開催が目前に迫ったある日、ボブは自宅のキッチンで見知らぬ男たちの襲撃を受け、左わき腹と左腕を銃弾で負傷した。
    それでもコンサートは開催され、ボブはステージに上がって平和を訴える。
    しかしジャマイカの状況が変わることはなく、ボブは身の安全のためジャマイカを離れてロンドンへと亡命することになった。

    それから1年半後の1978年4月23日、抗争の終結を願う両党の党員が協力して開催したのが、愛と平和を掲げる「ワン・ラヴ・ピース・コンサート」だ。
    首都キングストンにはジャマイカを代表するレゲエ・ミュージシャンが集まり、最前列には首相や両党の国会議員らが招待された。


    「平和などという言葉は死者に向ける言葉だ」

    ステージでそう言い放ち「平等の権利」を歌ったのは、かつてボブ・マーリィとともにウェイラーズを牽引したピーター・トッシュだ。

    平和など必要ない
    俺が求めているのは平等と正義だ
    平等と正義さえあれば
    犯罪はなくなるんだ



    “平和”を掲げたコンサートでそれを否定し、より具体的に問題を解決する方法を訴える。
    これがピーター流のレベル・ミュージック、抵抗の歌だった。

    夜もすっかり更けた頃、トリとしてステージに上がったのはイギリスに亡命していた国民的スター、ボブ・マーリィだ。
    「スマイル・ジャマイカ」以来の凱旋ステージに、観客の熱狂はピークに達する。

    ライブの後半、「ジャミング」の演奏が始まるとボブは「ちょっと言わせてくれ」と切り出し、観客に向かって自らの想いを訴え始めた。
    そして、演奏がクライマックスになるとボブは客席にいた両党首に、「どうかステージに上がって、皆の前で握手して欲しい!」と呼びかける。


    俺は握手するところをみんなに見せたいだけなんだ!
    俺達は正しい道を進むことができる、団結できるんだってことを!
    俺達はひとつに、ひとつになれるんだ!



    ボブの懸命な説得と平和を願う観客の想いに背中を押されたのか、抗争の真っ只中にあった両党の代表はステージに上がってボブの前で握手を交わした。





  • 後日、「劇的な和解によってジャマイカが救われた」というニュースが世界中を駆け巡った。

    ところがコンサート企画の中心となった両党の2人の党員が、翌年とその翌年に相次いで暗殺されるなど、抗争が終わることはなかった。
    和解の立役者となったボブもコンサートから3年後の1981年5月11日、脳腫瘍によりこの世を去る。
    平等を訴えたピーター・トッシュは1987年9月11日、自宅に押し入った強盗の凶弾によって倒れた。
    ジャマイカが救われたというのは、ほんの一瞬の幻想に過ぎなかったのだ。

    しかし、歌は生き残った。
    ボブとピーターで共作した「ゲット・アップ・スタンド・アップ」を中心に、二人が遺した数多くのレベル・ミュージックが今もなお世界中で歌い継がれている。


    国境も人種も超え、音楽で1つになることを目指すプロジェクト、プレイング・フォー・チェンジには、キース・リチャーズをはじめとして世界中のミュージシャンが参加




    スペインを代表するミクスチャー・バンド、オホス・デ・ブルッホによるカバーはフラメンコ、レゲエ、ヒップホップなど様々な音楽が混ざり合う21世紀のワールド・ミュージック




    writer:佐藤 輝



    (このコラムは2014年12月9日にTAP the POPにて公開されたものです)




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