ハタチの名盤 10選【百歌繚乱・五里夢中 第19回】


今回は「ハタチの名盤」。どういう意味かって?ミュージシャンが20歳のときに世に出した作品の中からの選曲ということです。

ハタチという歳ごろ

選挙権が18歳からとなりまして、「成人」も18歳からにしてしまおうかなんて議論もございますが、まぁ日本では長い間、成人はハタチからということになっておりました。戦後からそうなったんだろうなんて思っていたら、なんと明治9年の昔に決められたらしい。その頃は、日本人の平均寿命が43歳くらいだったらしいから、ハタチの意味もずいぶん違ったろうね。もう人生半ば、てことは今なら40歳くらいの感覚なのかもね。

ちなみにどうして「20歳」を「ハタチ」って言うかというと、「ハタ」が「20」の意味。「十重二十重」と書いて「とえハタえ」って読むでしょ。で、「チ」は「つ」とか「個」の意味の助数詞……だそうです。

閑話休題。

ハタチという存在は、もう子供とは言えませんが、まだ世間知らずの未熟者。海の物とも山の物ともつかないのがふつうです。私もハタチの頃は大学生。勉強もしませんでしたが、将来のことも何も考えてなかった……。

だけど、ミュージシャンという、もっぱら感性と体力がものをいう職種においては、経験などあまり関係ありません。かと言ってさすがにその歳ではまだまだ駆け出しといったところでしょうが、たまに、早くも、世間をあっと言わせるような音楽を生み出してしまうようなヤツらも登場してくるのが、人間の面白いところ。

ただし、実力だけでは成功できないのも世の習い。運も左右するし、人柄も関係してくるでしょう。「ハタチの名盤」が誕生するまでには様々なストーリーが潜んでいるはずなのです。

もちろん、日本のアイドルのような、実力はともかくルックスと若さを重視するジャンルにはハタチで名を成した人などゴロゴロいますが、このあたりは当然対象外。

 

ハタチの名盤、10選


①Stevie Wonder「Sugar」(from 13th アルバム『Signed, Sealed & Delivered(涙をとどけて)』:1970年8月7日発売)
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1950年5月13日、米国ミシガン州サギノー生まれ。11歳でモータウンと契約し、12歳でデビューしているので、ハタチの歳にリリースしたこのアルバムは既に13作目!すでにいくつかのヒット曲も持ち、まさに早熟の天才児でしたが、さすがにプロデュースに参画したのはこの時が初。しかも2曲のみ。

曲作りのほうも、本人が関わっているのは12曲中7曲とまだ半分強、しかもすべて共作で、この「Sugar」もスティーヴィ本人とドン・ハンターの共作です。まだ発展途上というところですかね。

ただ、この1970年からの飛躍的展開がすごい。この年にシリータ・ライトと結婚し、自身の音楽出版社「タウラス・プロダクション」を設立します。そしてなんと言っても翌71年、モーグ・シンセサイザーとその使い手、ロバート・マーゴウレフ (Robert Margouleff)とマルコム・セシル (Malcolm Cecil)との出会いが、彼の音楽をぐっとステップアップさせます。彼らとの共同プロデュースで、『Innervisions』(73)、『Fulfillingness' First Finale』(74)、『Songs in the Key of Life』(76)と、アルバム3作連続でグラミー賞「Album of the Year」を獲得するという前人未到の快挙を打ち立てるのです。

 


②Michael Jackson「Off The Wall」(from 5th アルバム『Off the Wall』:1979年8月10日発売)
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早熟の天才と言えば、スティーヴィと同時にこの人のことも思い浮かびますよね。”Jackson 5”時代はレーベルも同じモータウンでした。契約時、マイケルは9歳でしたが、当初社長のベリー・ゴーディは、少年シンガーはもうスティーヴィがいるからと、契約に乗り気じゃなかったそうです。だけどオーディションの映像を見て気が変わった。その映像、YouTubeなどで、画質は悪いですが観ることができます。9歳にして、ジェイムズ・ブラウンの「I Got the Feelin’」を完璧に歌って踊っていて、実にカッコいい。

1958年8月29日生まれなので、このアルバム『Off the Wall』は21歳になる19日前の発売。ソロ名義で通算5作目ですが、エピック移籍後の第1弾。そしてこのアルバムからプロデューサー、クインシー・ジョーンズ (Quincy Jones)とのタッグが始まりました。シングル・カットしたタイトル曲は見事全米1位。アルバムも全米3位のヒット。

もちろん、ご存知のように、この3年後にはモンスター・ヒット・アルバム『Thriller』で”King of Pop”の座に着くわけですが、私はこの、なんとも瑞々しくて、顔もかわいい、ハタチ時代のアルバムのほうが好きだなぁ。

 


③美空ひばり「港町十三番地」(SPレコード:1957年3月10日/45回転レコード(シングル):1957年6月15日)
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早熟の天才シリーズ、日本ではなんと言ってもこの人ですね。

1937年(昭和12年)5月29日、横浜生まれ。9歳の時、NHK「素人のど自慢」で「リンゴの唄」を歌ったけど、「うまいが子供らしくない」という理由で鐘が鳴らなかった、という有名なエピソードがありますが、その因縁なのか、49年に東横映画「のど自慢狂時代」でブギウギを歌う少女として映画初出演。同年8月には松竹「踊る竜宮城」に出演し、その主題歌「河童ブギウギ」でコロムビアからB面ながらもレコード・デビュー。

さらにその年10月に公開された初主演映画「悲しき口笛」(松竹)が大ヒット、主題歌の「悲しき口笛」も45万枚売れ、これは当時の史上最高売上記録でした。このとき弱冠12歳。

以来、52年の短めの生涯でしたが、最期まで「歌謡界の女王」の名をほしいままにし、通算レコーディング曲数1,500曲、累計レコード売上8000万枚という巨大な足跡を残しました。

そんな彼女のハタチ時点のヒット曲はこの「港町十三番地」。最初SPで発売されて、3ヶ月後にEPシングルで再発されたという、両フォーマットが共存していた時代の作品です。

それにしても、将棋の藤井聡太くん、卓球の張本智和くん、まだ未知数だけど囲碁の仲邑菫ちゃんと、昨今ちらほら早熟の天才が出現しますが、音楽系では宇多田ヒカル以降、パタリと途絶えていますな。

ちなみに宇多田ヒカルはデビューが15歳、”Cubic U”名義では12歳ですから、当然ハタチの作品もあります(「COLORS」他)が、15歳時の活躍があまりに華々しく印象的だったこともあり、この10選には入れませんでした。

 


④Taylor Swift「Speak Now」(from 3rd アルバム『Speak Now』:2010年10月25日発売)
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「どこがカントリーやねん!」といつもツッこみたくなるし、あのニューヨーク・タイムズにも「しばしば用いられるバンジョーとステージ衣装のカウボーイ・ブーツ、それにギターに描かれた模様以外は、彼女がカントリー歌手だということを示すものはない」と書かれたテイラー・スウィフトですが、実際、カントリー・ミュージックに憧れて、14歳の時に両親とともにナッシュビルに引っ越したという根っからのカントリー娘。所属の「Big Machine Records」もカントリー専門レーベルなのです。ま、それくらいカントリーって、アメリカ人にとっては王道の音楽ということなんでしょうね。

1989年12月13日生まれ。デビュー・アルバム『Taylor Swift』は2006年10月24日発売ですから16歳ですね。既に全曲のソング・ライティングに関わっていました。売上も上々、ビルボードのアルバム・チャートで最高5位、157週もランクインという、新人の大ヒットの典型的なパターン。できたばかりの小さなレーベルだったので、宣伝力があったとは思えません。大手音楽出版社のSony/ATVと契約はしますが、有力なマネージャーがいたような情報はなく、よほど本人のパワーがすごかったんだと思います。

2nd アルバム『Fearless』は18歳。グラミーの「Album of the Year」を史上最年少で獲得し、ハタチの時のこの『Speak Now』も、彼女にとっては通過点でしかありませんでした。​​​​​​​


 

⑤椎名林檎「ここでキスして。」(3rd シングル:1999年1月20日発売/from 1st アルバム『無罪モラトリアム』:1999年2月24日発売)
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1978年11月25日生誕なので、シングル「幸福論」でデビューしたのは19歳。そして1st アルバムの『無罪モラトリアム』とこの「ここでキスして。」、次のシングル「本能」までがハタチ時代の作品でした。

卓越した歌唱力や作品力に加え、文学的な言い回しやハードなギタープレイとキュートなルックスのギャップが大きな魅力となって、またたく間に人気アーティストの仲間入りを果たしました。また、すぐにaikoと宇多田ヒカルという、やはり実力とキャラクターを兼ね備えた女性アーティストたちが続いたことで、J-POPシーンは大いに盛り上がりましたね。折しも日本の音楽産業の生産高が史上最高だった時期であります。

どうでもいい話ですが、実力派女性アーティストは概して早婚ですね。上記の3人中、aikoは違いますが、林檎さんは2000年11月、21 or 22歳でギタリストの弥吉淳二氏と結婚(02年1月に離婚)。宇多田さんも2002年、19歳で映画クリエイターの紀里谷和明氏と結婚(07年離婚)。

さらにたとえば、矢野顕子さんも19歳で矢野誠さんと結婚した(5年後に離婚)し、ユーミンも21歳で松任谷正隆と結婚、荒井から松任谷へ姓を替えました。しかも、お気づきのように、ユーミンを除いて、いずれも長続きしていません。

ここになんらかの共通の要因があるのか、はたまた単なる偶然に過ぎないのか?個人的には、「物事に対する強い好奇心」、もっと言うと「いい歌詞を書くため」ではないかなどと考えております。

 


⑥Toto「Rockmaker」(シングル(オランダのみ):1979年発売/from 1st アルバム『TOTO(宇宙の騎士)』:1979年10月10日発売)
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フロントマンではないプレイヤーということでしたら、ハタチ前から活躍する人も多いでしょうが、とりあえずギタリストからこの人を。

スティーヴ・ルカサー (Steve Lukather)以外はバンド全員、このデビュー・アルバムの段階でもうハタチを超えており、ヴォーカルのボビー・キムボール (Bobby Kimball)やベースのデヴィッド・ハンゲイト (David Hungate)は既に三十路なのですが、ルカサーは1957年10月21日生まれ、アルバム発売日が21歳の誕生日まであと11日というぎりぎりハタチ。

売れっ子セッション・ミュージシャンの集まりだから、当然演奏力はたしかな上に、メンバー6人中4人までが高校からの友人(さらに兄弟も)という縁もあってのチームワークのよさ、キムボールという専任ヴォーカリストもいながら、ルカサー他、デヴィッド・ペイチやスティーヴ・ポーカロも歌えるというところが、“Toto”の強みでした。

佳曲満載のこのアルバムから、ここでは、ルカサーのギター・ソロがフィーチュアされている「Rockmaker」をお勧めします。ルカサーのソロは、伸びやかで緩急自在なところが大好きです。ハタチにしてこの完成度はやはりすばらしいと思います。

ついでに言っておきますと、この時25歳だったドラマーのジェフ・ポーカロのハタチの時の仕事は”Steely Dan”の4th アルバム『Katy Lied(うそつきケイティ)』<album/95168/>。10曲中9曲で叩いています。あの傍若無人に厳しかったドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーに、ハタチでこれだけ信頼されるとはすごいよね。



⑦U2「Out Of Control」(from 1st アルバム『BOY』:1980年10月20日発売)
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高校からのつきあいということでは、”U2”もしかり。しかもこちらは4人全員が、ダブリンのマウント・テンプル高校出身で、ドラムのラリー・マレン・ジュニア (Larry Mullen Jr.)がおそらく1学年下で他の3人は同学年という近さです。ラリーが高校の掲示板に出した”バンドメンバー募集”の貼り紙がきっかけでした。

そしてU2は1978年の結成以来40年になろうかというのに、全くメンバー不動という希少な存在ですが、考えてみると、”Toto”もまだ一応やってるし、中学からの”エレファントカシマシ”とか、幼稚園(!)からの”Bump of Chicken”とかも、メンバー不変かつ解散もありません。子供の頃からの仲間って、たぶん、いろいろケンカとかあっても、根っこのところでつながっているから長続きするのかな。

ともかく、ヴォーカルのボノ (Bono)(1960年5月10日生まれ)とベースのアダム・クレイトン (Adam Clayton)(1960年3月13日生まれ)が、デビュー・アルバム『BOY』の発売時点でハタチです。他の2人は19歳。

とりあえず「Out Of Control」を選びましたが、アルバム全体がエナジーに溢れていますね。プロデューサーのスティーヴ・リリーホワイト (Steve Lillywhite)の功績も大きいと思いますが、息の白さが見えるような寒い音の感じとか、デビューにして他のバンドにはない個性が際立っています。

 


⑧Led Zeppelin「I Can’t Quit You Baby」(from 1st アルバム『Led Zeppelin』:1969年1月12日発売)
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U2『BOY』発売のひと月前に、レッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナム (John Bonham)は亡くなっています。32年の短い生涯でしたが、その強烈なドラミングは世界中の音楽ファンを今なお魅了し続けていますね。

ツェッペリンのデビュー時、彼とヴォーカルのロバート・プラント (Robert Plant)はハタチでした。ギターのジミー・ペイジ (Jimmy Page)は25歳、ジョン・ポール・ジョーンズ (John Paul Jones)は23歳。

ハタチくらいでデビューするバンドはたいてい、1、2作目のアルバムは未完成で荒削り、若さと勢いでもっているものですが、ツェッペリンは違います。このデビュー・アルバムでもう堂々たるもの。その後のツェッペリン・サウンドと比べて、どこも見劣りするところはありません。しかもこのアルバム、お金がなかったので、36時間で仕上げたそうです。

ボーナムは、1曲目の「Good Times Bad Times」で、シングル・バスドラムなのに、キックの”16分3連符の頭抜き”という高難度の技をいとも軽々とやっていて、世のドラマー達をあっと言わせましたが、それは本コラムの第8回「マイ・フェイバリット♪ ドラマー 10選」で取り上げましたので、今回はもう1曲、同じ技をやっている「I Can’t Quit You Baby」をお勧めしておきます。ギター・ソロのバック、3’10”あたりから連続で数回繰り返しています。

 


⑨The Rolling Stones「I Wanna Be Your Man」(2nd シングル:1963年11月1日発売)

アンドリュー・ルーグ・オールダム (Andrew Loog Oldham)はストーンズ初期のマネージャー兼プロデューサー。ストーンズをビートルズと並ぶ人気バンドに押し上げた人ですから、傑物には違いないのですが、実はバンド内で最年少のキース・リチャード (Keith Richards)よりさらにひとつ年下でした。

最初はブライアン・エプスタインの「NEMSエンタープライズ」でビートルズの宣伝担当をしていましたが、やがてストーンズと出会い、ビートルズの8ヶ月後にチャック・ベリーの曲「Come On」のカヴァーでデビューさせました。ちなみに、ミック・ジャガー (Mick Jagger)とキースはまだ曲は作らず、初めての自作曲は6th シングルの「Tell Me」(1964年6月発売)になります。

2nd シングルをどうするかと考えていた時に偶然、ジョン・レノンとポール・マッカートニーに出くわしたオールダム。当然彼らとも仲はいいですから、2人をストーンズのリハーサル現場に引っ張っていき、「何か曲を書いてもらえないか」と頼み込むと、「あれが合うかもしれない」と彼らが弾き語って聞かせたのが「I Wanna Be Your Man」。ストーンズは気に入り、すぐにレコーディングして、その2週間後にシングルが発売されました。

この時、ミックがちょうどハタチ。キースは19歳11ヶ月、オールダムは19歳9ヶ月でした。将来ものすごいバンドになるなんてこと、想像できなかったでしょうね。野心はあったかもしれませんが、日々は大学のクラブ活動みたいな素朴なノリだったんじゃないでしょうか。

 


⑩The Beatles「From Me To You」(3rd シングル:1963年4月12日発売)

で、ストーンズよりも若干先輩のビートルズ。年齢で言うと、リンゴ (Ringo Starr 1940年7月7日生)、ジョン (John Lennon 40年10月9日生)、ポール (Paul McCartney 42年6月18日生)、ジョージ (George Harrison 43年2月25日生)の順でした。

なので、シングルではこの3rd「From Me To You」、アルバムでは1st『Please Please Me』(63年3月22日発売)のみ、ポールとジョージの2人がともにハタチだった時期の作品になります。

この頃はまだアメリカ進出を果たせていませんでした。EMIの提携先であるCapitolが米国リリースを拒否していたんですね。ほんと、音楽分かってんのか、とツッこみたくなりますよね。しかたなく「Vee-Jay」という小さなレーベルから出してもらうことになり、まず、「Please Please Me」がA面、「From Me To You」がB面というシングルが63年2月7日に発売されました。ということはなんと、実は「From Me To You」は本国よりも早いんですね。

しかし、チャートインせず。英国では1位なのに。で、5月27日に今度は「From Me To You」A面でまたシングルをリリースします。この時も6月中は4,000枚しか売れなかったとか。チャートは最高116位に終わりました。翌年4月4日にはビルボード・チャートの1位から5位までを独占することになるバンドの、ほろ苦い青春のひとコマです。

 

 

以上、”ハタチの名盤”10曲でした。

前述の”「成人」も18歳からにしてしまおう”という考え、私は反対であります。そもそも選挙権だって反対。高校卒業者の約60%が大学に進学している現代日本。彼らは少なくとも22歳までは学生で、その大多数が親のスネカジリでしょ?自分の稼ぎで生きてないヤツが「成人」だなんておこがましい。

私は、高校卒業したら、全員がまず何でもいいから2年くらい働くことを制度化すればいいと考えています。そしたら社会というものがある程度分かる。自分がほんとにやりたいことが見えてくる。その上で、そのやりたいことのために勉強が必要だと思えば大学なり専門学校なりに行ってもいいし、すぐに転職するという道も選べるようにするのです。そうすれば、ぼーっと大学キャンパスライフをエンジョイするだけのバカも減るし、しっかり自立した人間が増えて、国力も上がると思うのですがね。

まさにぼーっとしていたハタチ前後の自分への反省を踏まえてのアイデアです。

だけど、もちろんハタチでもえらい人はえらい。今回挙げたミュージシャンたちをはじめとしてね。

いやぁ、それにしても、音楽ってちっとも飽きないですねー♪