Labyrinth Of Musical Instruments — 楽器の迷宮 :エレクトリック箏 編

Labyrinth Of Musical Instruments — 楽器の迷宮 :エレクトリック箏 編(1)
Photo:Sakaki Mirei

本連載「Labyrinth Of Musical Instruments — 楽器の迷宮」では、通常ポップ・ミュージックではあまり使われることのない特殊な楽器、あるいは近年新たに発明・開発された楽器について、代表的演奏者へのインタビューを通じてその魅力や、シーンを紹介してゆきたい。

楽器の構造から生まれた “内省的”邦楽の美

楽器の構造から生まれた “内省的”邦楽の美
Photo:Sakaki Mirei
初回に選んだのは「箏〈こと〉」。 いや、正確に言うと「エレクトリック箏」である。解説していただくのは、第一人者である八木美知依さんだ。
ちなみに箏は単体では「こと」と読むが、熟語では「箏曲<そうきょく>」のように「そう」と読むのが通例。奈良時代に中国から伝わり、江戸時代には現代につながる奏法、流派の原型が整えられるなど、その歴史は約1300年に及ぶ。年始BGMの定番として、あらゆる場所で流れる宮城道雄の「春の海」(昭和4年)を耳にしたことのない人はいないだろう。この曲は、戦前に尺八のパートをヴァイオリンで演奏したレコードがアメリカ、フランスでもリリースされるなど、伝統からブレイクスルーし海を渡った楽曲としての側面も見逃せない。

  • もちろん坂本龍一加古隆ら現代のポップ・ミュージック系作家も曲を書いており、歴史を振り返るまでもなく、箏は日本人にはお馴染みの和楽器のはずだ。しかし、箏がどういう楽器なのかをちゃんと知っている人は意外と少ない。三味線や尺八同様、現代では和楽器全般が敷居の高い楽器になっているが、箏はその中でも大衆性に欠けるちょっと格上の楽器と言っていい。
    いわば“邦楽器の女王”か。

    そんな箏をエレクトリック化し、新たな奏法やサウンドを開発しながらフリー・ジャズやロック、J-POPの世界でハードに弾き倒してきたイノベイターが八木美知依さんである。90年代からシーンを牽引する唯一無二の存在だ。箏は、エレクトリック化を経た今、ギターやヴァイオリン、サックスと同じ地平に立ちつつあるーー。

低音とコード対応を可能にした二十一絃エレクトリック箏

箏の基本情報として生田(いくた)流と山田流という二大流派があり、八木さんは、生田流だ。分かりやすい流派の見分け方として、「爪の形」(生田流は四角く、山田流は丸い)と、「楽器に対して座る位置」(生田流はやや斜め、山田流はまっすぐ)がある。また、生田流は地歌三味線と共に器楽曲、いわゆるインストゥルメンタルの演奏楽器として、山田流は歌の手付(伴奏)として発展してきたという違いもある。現在、奏者の多くは生田流だという。

低音とコード対応を可能にした二十一絃エレクトリック箏(1)
低音とコード対応を可能にした二十一絃エレクトリック箏(2)
八木さんは現在、計20面ほどを所有。「箏には寿命があり、木が枯れすぎる(乾燥しすぎる)と音が悪くなる。自分には気持ちよくいい音に聴こえるけど、客席には芯のないスカスカな音で聴こえてしまいます」

―楽器の入手方法は、やはり専門店ですか?

そうです。厳密に言えば、楽器屋さんが持ってきてくれたいろいろな木の中から自分で木を選ぶことから始め、楽器屋さんを介して職人さんに作ってもらうんです。完成品を買う場合は、初心者用だと10万円ぐらいですね。それ以下のものもありますが、経験上、完全に木が乾燥された状態で製作されていないものが多く、早いと一年で木全体が曲がってくることも…。基本的に1本の木で一つの箏(数え方は一面)を作り、板(表は槽=甲羅、裏は龍背<りゅうはい>と呼ぶ)の硬さや木目の密度によって音色も違ってきます。高いと、素材の木だけで百万円以上します。

低音とコード対応を可能にした二十一絃エレクトリック箏(3)
低音とコード対応を可能にした二十一絃エレクトリック箏(4)
裏面の音穴<いんけつ>の中の処理は、音、また価格に大きく影響。左は約20万円だが、音がより響くよう複雑な彫りを施してある右は約120万円。

箏は古来より十三絃の楽器だったが、そこに低音絃を加えた十七絃箏が大正時代末期から使われるようになった。考案したのは、やはり宮城道雄だ。だが八木さんは、十七絃にもう一本低音絃を追加した十八絃(十七絃ベース箏)、さらに二十一絃の箏をメインに使っている。

低音とコード対応を可能にした二十一絃エレクトリック箏(5)
左から十三絃、十七絃、十八絃、二十一絃。二十一絃箏は、普通の十三絃箏とほぼ同じ演奏テクニックでコード対応ができるようにしたもの。「通常、レの隣の絃はソだったりと、ペンタトニック・モードで調絃されています」

―絃の張替えを専門職に任せず、ご自分でやっているそうですね。

特別な場合以外は、いつも自分でやっています。ギタリスト同様、自分の楽器の絃の張替えや調整ができないのはおかしいと思っているので。ちなみに箏は、通常、曲ごとに柱(じ)を移動して各絃の音程を変えます。基本的に1面1曲なので、リサイタルなどでは、調弦換えの手間を省くためや曲の個性に合わせた音色の楽器にするため、曲ごとに楽器を変えたりもします。

―1面1曲だと転調に対応するのが難しいですよね。箏の古典曲には転調がないのですか?

あります。ただ、西洋音楽のようにがらがら変わっていくことはありません。転調は音楽を広げ発展させていくためのものだと思いますが、箏は構造上むずかしいというだけでなく、そもそも日本の伝統的音楽はそこに美学を求めなかったように思います。「いかに壮大な宇宙を作り上げるか」といったテーマではなく、「限られた音域の中でいかに細かいニュアンスを表現するか」というように、もっと内省的な世界観に美学を見出していたのではないでしょうか。

―では、早速八木さんのエレクトリック箏の仕組みを教えてください。マイクを付けているのですか?

龍角の下にピエゾ・ピックアップを内蔵しているんです。私は、フリー・ジャズ、特にサックスやドラムスなどとの大音量でのインタープレイが多く、転調はもちろんのこと、音色やトーンをいろいろ変化させるためにポグやディストーション、リバーブなどエフェクター類もたくさん使っているので、必然的にエレクトリック箏を使うようになりました。
普通の箏だと、どうしても音色がキンキンしてしまうのですが、ピエゾを内蔵したエレクトリック箏だと音色がふくよかで長時間聴いていられるし、倍音も少しですが和らぐ。構造的にはオベーションのアコースティック・ギターに近いかな。ヴァイオリンとエレクトリック・ヴァイオリンの音色が違うように、生の箏とは音色も違うし、もう別楽器と言っていいほどですね。ピエゾを仕込んだり、様々なエフェクターをかませたりと、少しずつ自分の音と演奏方を作り上げてきましたが、その過程には、共演する演奏家やエンジニアなど、周りの人たちからのたくさんのアドバイスがありました。

筆者が八木美知依の名前を最初に認識したのは、90年代初頭、ジョン・ゾーンやエリオット・シャープらの共演者として。その後、音源として初めて聴いたのは、彼女を含む4人の女性箏奏者から成るコト・ヴォルテックス(Koto Vortex)というグループのデビュー作『Koto Vortex I:Works by Hiroshi Yoshimura』(93年)だった。 その後も彼女は、邦楽器でロックを演奏するグループ、コクー(Kokoo)に参加する傍ら、エレクトロニクス系実験音楽家 Haco や Sachiko Mとの女性トリオ、ホアヒオ(Hoahio)でも活動するなど、表現の幅を広げていった。

  • ―特に八木さんの箏を進化させたと思う、具体的なきっかけはありましたか?

    たくさんの共演者の中でも、特に、ヨーロッパのフリー・ジャズ・シーンを代表するドイツ人サックス奏者ペーター・ブロッツマン(Peter Brötzmann)や、ノルウェイ人ドラマーのポール・ニルセン=ラヴ(Paal Nilssen-Love)との出会いは大きかったと思います。この10年ほどのペーターとの共演を通して、演奏しながらチューニングを変えるなど、新しい奏法をどんどん開発していった結果、共演できる人も増えてゆきました。
    Kokoo や ホアヒオなどで純邦楽にはない様々な曲をやって新しいテクニックを磨き、更にペーターたちとの共演の中でそれを応用していった感じですね。彼らとのライブ・ツアーでは、常に何かしら新鮮な感動があるように日々、音や奏法に関して試行錯誤の連続でした。ペーターは常に「何ができるのか見せてみろ」という態度が一貫しています。そのプレッシャーのかけ方は、彼ら世代のフリージャズの巨匠ならではですが、そういった愛情をかけてもらえたことは誇りに思っています。そして、そういった経験を糧にジャズ・ドラマーの本田珠也と現在やっている即興デュオ・ユニットが〈道場〉です。


    ―スティックで絃を叩いたり、弓でこすったりと、八木さんの演奏には特殊な奏法も多いですよね。

    そういう奏法は、元々ありました。現代音楽のヤニス・クセナキスや西村朗(にしむら・あきら)さんらの曲にもあるし、箏で即興をやる人は必ず通る道ですね。他にも、ギザギザのスティックで絃をこすったり、絃と絃の間に小さなシンバルを挟み、それを叩いて絃を共鳴させたりも。
    あと私の場合は、やはりエフェクターの使い方をいろいろ研究しています。磁気のピックアップに比べ、出音のアタックが柔らかいピエゾの特性に合わせてディストーションを効果的に使ったり。エレクトリック箏はデジタル機材のかかりがちょっと悪いので、アナログ機材を使ったり。これまでいろんなエフェクターで試行錯誤してきましたが、近年はようやく効果的な自分独自の音を確立しつつあるので、使用するエフェクターの種類も絞る方向になっています。適材適所というか、最適のポイントで最適のエフェクターを使えるようになった。

    ―エフェクターを多用するようになったのはいつ頃からですか。

    2011年にドイツのメールス・ジャズ・フェスティバル(http://www.moers-festival.de/en/)に出たあたりからかな。あの時、ディストーションを初めて使ったんですが、客の反応がすごく良く、ライブ後に200枚あった物販CDがあっと言う間に売り切れてしまった。
    ディストーションやリバーブ等のエフェクターの使用によって音をサステインさせられるようになり、演奏そのものがせっかちでなくなりましたね。そしてそれが、演奏スタイルの変化にもつながり、自分だけのサウンドを作れるようになった感じです。

    ―そもそもどういう経緯で箏を始めたのですか?

    母が箏師範だったこともあり、幼い頃からなんとはなしに触れて育ち、小学校低学年の頃には「ひみつのアッコちゃん」や「魔法使いサリー」といったテレビ・アニメの主題歌を好き勝手に弾いていました。
  • ちゃんと勉強しだしたのは高校1年と、ずいぶん遅いんです。NHKラジオFMの『現代の音楽』という番組で、助川敏弥(すけがわ・としや)さんの「独奏十七絃による三章」という現代曲を聴いて、こういう曲なら自分もやってみたいと思ったのがきっかけでした。聴いたことがないスケールの斬新な音楽で、すごくカッコよかったんです。22才の時、宮城道雄の弟子だった沢井忠夫&一恵先生の東京のお宅に内弟子として入り、同時に、NHK邦楽技能者育成会でも勉強しました。ただ、私は当時から、純邦楽の世界で演奏家として生きていこうとは思っていなかった。演奏技術のレべル的にも無理だと思っていたし、それ以上に、もっと違う音楽、実験的なことをやりたいという気持ちが強かったから。
    作曲や即興の世界に本格的に入っていったのは、1989年にニューヨークで〈Bang On A Can Festival〉という現代音楽祭に参加した時、ジョン・ケージの新作演奏を生で観たのが大きかったですね。音楽を教養として聴かない人にもアピールするような音楽こそが自分の進むべき道ではないかと思ったんです。
  • ―とはいえ、今でも日本の古典曲も演奏する?

    します。古典の勉強や演奏はとても大切です。古典曲の演奏技術や音楽的構造、絃の共鳴の実態などをしっかり理解してないと、現代曲やポップスなども、ちゃんと、そして面白く演奏できないと思います。だから、私も自分の生徒さんたちには、古典をしっかり教えています。
    現在、東京の自宅と愛知県の教室で合わせて23、4人に教えていますが、一般的な生徒さん以外に、私のライブやYouTubeを観て習いたいと言ってくる人もけっこういます。そういう人たちはえてして、いきなり実験的なことをやりたがるんですが……古典をちゃんと勉強してからでないとできないと説明しています。なかなか理解してくれない人もいますが(笑)。門下生たちとの発表会も定期的にやっていて、古典だけでなく「ゴジラ」のテーマ曲やEL&P「タルカス」、ニック・ドレイク「リヴァー・マン」などもやりました。ゲストで坂田明さんにも来ていただいて。
    • River Man/ニック・ドレイク

      シングル

      257

      River Man
      ニック・ドレイク
  • 低音とコード対応を可能にした二十一絃エレクトリック箏(6)
    坂田明さんをゲストに迎えての発表会

    昨年秋には、池上本門寺と平安神宮で行われた柴咲コウのスペシャル・コンサートに出演し、ほぼすべての曲で演奏するなどJ-POPシーンともコラボレート。現在、既に完成しているソロ名義のニュー・アルバムは2枚あり、1枚はドイツのレーベルから出すことになっているという。もう1枚は、初めて彼女自身がボーカルもとった作品で、取材時に聴かせてもらったが、かなりプログレ系。また本田珠也との〈道場〉3枚目のアルバムも完成予定と、新作が目白押しだ。〈道場〉では最近ループ・リズムの曲をよくやっていることもあり、なんとテクノ系イべントへの出演も控えているという。

  • ―箏という楽器のイメージと可能性は、ますます広がってゆきますね。

    古い楽器だけど、箏には可能性がまだまだあると信じています。箏を弾くという私の人生は、古典を振り返りつつも常に楽器や自分にとって新しいチャレンジの連続でした。他の楽器であればなんなくこなせることであっても箏にとっては困難が多く、結果、疲弊し、自信もなくし、時に普通の演奏家になりたいと思う日もなかったわけではありません。
    それでも、何かを達成すると常にすぐに新しい課題にぶち当たる。ある日、ふと、もしかしたら私は箏という楽器存続のために箏から選ばれた人なのかもしれない、と思うことがありました。ちょっとおこがましいですが。すると、自分が前進すれば何かしら到着する駅が必ずある、自分から進んでいるだけでなく箏からも何かを託されているのだ…そんな楽観的とでもいうべき力が湧いてきました。これからも箏に育ててもらいながら自分自身を探求し、次の駅を目指して新しい地図を描く人生を送っていきたい、と思っています。

    ---------------
    八木美知依

    http://www.japanimprov.com/myagi/myagij/

  • Text:松山晋也

松山 晋也のその他の記事