「苦しみを楽しめ!」 人間椅子・和嶋慎治の屈折人生を支えた光


4月4日、初のミュージックビデオ集『おどろ曼荼羅~ミュージックビデオ集~』が発売された人間椅子。平成元年『いかす! バンド天国』でのデビューから29年、いわゆる「普通」からは考えにくい売れ方に驚くばかりのベテランヘヴィロック・バンドは、いま、再ブレイク中だ。
青森から上京し、異様な売れ方をしたあと急落。長かった不遇の時代も止めることなくコンスタントに新譜を出し続けていた彼らの、続けることの意味とは……。人生に迷い始めた大人たちへ、48歳にしてようやく音楽一本で食えるようになった覚悟を、昨年上梓した自伝『屈折くん』も話題のフロントマン・和嶋慎治に聞いた。

「苦しみを楽しめ!」 人間椅子・和嶋慎治の屈折人生を支えた光(1)

「屈折くん」(シンコーミュージック)1,620円(税込)

「自分の才能を信じるしかない」 バカの壁を超え続けた29年

まず、最初に断りをいれたい。通常、インタビュー記事で聞き手のプロフィールを紹介することなんてまず、ない。でもこの取材においては、聞き手である「僕」のことも伝えておいた方がいいと思う。
「僕」は今年で50歳。高校生になったばかりの息子がいる。中学生の娘もいる。中央線の三鷹に住んでいて、昔はバンドもやったりした。当時流行ってたから小劇場の劇団なんかも、かじった。けど30過ぎて、結婚して、アルバイトもしたりしてたけど、やっぱりこのままじゃまずい気もして流れ流れ、今の仕事に落ち着いてなんとか暮らしている。高円寺とか阿佐ヶ谷に昔は友だちもたくさんいた。なかにはイカ天に出ていた友だちもいた。でも今は、みんな散り散りだ。
そんななか、久しぶりに最近、昔のバンド仲間と集まるようになった。一方、実生活では親の介護とか、子育てのこととか、お金のこととかいろいろ悩ましい現実にぶち当たるようになってきている。そんな「僕」は、人間椅子があの29年前からずーっと今まで一度も辞めずにバンドを続けていたなんて、ちっとも知らなかったんだ。
 


でも、73歳の田中泯が軽快に踊るミュージックビデオを見て、和嶋慎治の自伝『屈折くん』を読んで。52歳、同世代の「屈折し続けた」稀有な存在に話を聞いてみたくなっていた――。

―いきなり余談なんですけど。うちに、反抗期真っ只中の息子がいるんですね。数日前リビングに『屈折くん』を置いてたら、嫁に「何これ、子供に読ませたいの?」って言われて(笑)。ああ、確かにそう取られてもしかたないな、と。まさに、うちの息子、今めちゃめちゃ屈折くんなんです。

「自分の才能を信じるしかない」 バカの壁を超え続けた29年	(1)


あはは。いやー、そういう子にぜひ読んでもらいたいですね。今の高校生がどう思うだろう? それこそ、平成30年を生きる高校生にはわからないかもしれないけど、僕らがバンドを始めた平成元年、カルチャーの最先端、1番かっこいいことはバンドだったんですよね。その前、昭和の終わりぐらいはそれが多分芝居で。みんな「自分で表現したい」「何かやりたい」って時に、まずは楽器を手に入れたんだよね。今の子だってバンドやったりはあるんでしょうけど、今はもっと「表現の場」「表現方法」があるでしょ。それこそ、YouTubeとか。でも当時は、やっぱりバンドだったんだよね。

―自分もまさにその世代で、スイマーズと仲が良かったり、和嶋さんの自伝の中にも出ていましたけど、マサ子さんのマユタンちとかもよく行ったり。お母さんによくしてもらいました(笑)。

あっ、行きました(笑)? みんな行ってたよね、あそこ豪邸だから。
今年でイカ天も30周年ってことでね。俺たち、これまであまりそういうのに参加してなかったんですけど。ちょっと恩返しの意味もあって最近は出るようにしてるんです。こないだも、マユタンには会いましたよ。

―あんなにたくさんバンドがあったのに、いつの間にかみんな辞めちゃったり、いなくなっちゃったりしましたよね。その中で、改めて伺いますけど。なぜ人間椅子は続けることができたんでしょう?

好きだからですよね。

―自伝の中でも「馬鹿だから続けてきた」と書かれてましたよね。歳とってくるとわかるんですけど、30歳、40歳って節目節目に人生の壁ってあるじゃないですか。分岐点っていうか。いくら「馬鹿」で「好きだから」って言っても、そういうのを超えられたっていうのは、何か秘訣があったはずだって思っちゃうんですけど。

うん。でも、好きっていうのが大前提。才能の持って行き場所探すのが大前提。自分の才能を信じるしかないんですよ。みんな、辞める理由はほぼ、自分に才能がないって思っちゃうことだと思いますよ。そこで「いや、俺には才能があるんだ」て思える、馬鹿な人が続けるんだと思う。あらゆるジャンルで。「信じられる」ていう、ちょっと頭のおかしい人が続けられるんだよ。

 

48歳、やっと音楽で食えるようになった。
「覚悟ってものは作っていくものなのかもしれない」

―48歳になってようやく音楽一本で食えるようになったとのことですが、それまで一度も、微塵も、音楽で食べていくことを疑わなかったんですか?

いや……。うーん。でも「才能」だけは疑わなかったなぁ。ただ、これは世間に受け入れられないんだなって。そう思ってはいましたね。俺がやっている事は、マニアックすぎてメジャー、つまりこれでご飯を食べていくことは無理なんだろうな、とは思っていました。

―それはでも「それもよし」だと。60歳、70歳まで売れずに自分の好きな音楽をやっていくという覚悟はあったわけですか?

そういう覚悟はあった。でも最初からその覚悟があったかと言えば、100%の覚悟はなかったと思いますよ。覚悟ってものは作っていくものなのかもしれないです。イカ天出た時、24歳で。その時は漠然と、30歳までかなと。その後は新しいこと、違うことをやるのかなとそんな思いもありました。
自分の好きなアーティスト見ても1番輝いているのって、正直言いますけどデビューして数年なのよ。大体のバンド。ほぼ(笑)。で、最高傑作が3枚目とか4枚目で。だから自分が輝けるのは20代だけだな、なんて。変に大人びていましたね、花火みたいにデビューしたんで。階段登るとかじゃなくて、エレベーターでばぁ~っと最上階手前まで。

―最上階じゃない!?

そう最上階の手前(笑)。だから降りる時もエレベーターみたいにばぁ~~~って降りるんだろうなというのは当時、冷静にありましたよ。これは相当勘違いするなとも思っていました。でも当時いろんなグループがある中で、おこがましいんですけど、本気度というか、「自分たちはちゃんとルーツのある音楽をやっているんだ」という思いがありました。自分らなりのロックをやっていると言う自負も生まれたわけです。やがて当然ブームも去るわけですよ。4枚目でメジャーの契約切られるんですが、その時あらためて「あっ、俺、音楽辞めたくない!」と思いました。
 

「アルバイト人生で鍛えられたんです。紙が一枚一枚重ねられていくように、覚悟が厚くなっていった」

就職蹴って、バンドを選んでくれた鈴木くんの存在は本当に大きかったし、お互いに「こういうかっこいい音楽やりたいよね」って。そこで始めたわけだから。売れる売れないっていうのは後からですよ。まぁ売れたことないから、わかんないけど(笑)。
1番大事なことって「こういう音楽やりたい」「こういう絵が描きたい」って、ゴッホだってそうでしたよね。売れなくたってそれがあれば辞める理由がないんですよ。自分の場合は30歳手前で、まずは再確認したんです。音楽を続けるってことを。 でも現実問題、お金がなくなるんですよねえ。当時給料制だったんですが、給料が出ない。でも音楽を続けたい。だから、そこからついにアルバイト人生の始まりですよ。40半ばまで(笑)。まぁ基本、そのあたりお気楽ですからね、何とかなるかと。いずれ少しは売れればいいかなと。ある意味、やっぱり馬鹿なんでしょうね。

―ちなみにバイトでは「仕事ができる和嶋くん」だったとか(笑)?

そうなんです。ちゃんとやるんですよ、俺。ちゃんとやらないとシフトの融通も効かないからね。その辺は要領いいんです(笑)。100%の力は出さずにね。あんまり「この人できる」ってなると、シフトいっぱい入れられちゃうから。たまにわざと失敗するぐらいで。でもコミュニケーションはとって。ライブの時とかシフト代わってもらったりできるように。処世術みたいなものが身に付くよね(笑)。いろんな人と知り合うから。

―じゃあ、バイトは結果バンドにもプラスでしたか?

いやー。生きていくにはプラスでしたけどねえ。バイトやりすぎると娑婆っ気みたいなものが出てくるんですよ。落語的な言い方すると。生活臭っていうか(笑)。でも結局バイトしながらもさ、「このままじゃいけない」「なにくそ」って気持ちにもなるんですよ。その年齢でも。いや若い時以上にさ、切羽詰まってるから。良い曲で、良い演奏しないと、お金入ってこないしバンド続けられない。で、俺は何者なんだってときに、アーティストやっていくしかないんだって。さっき「覚悟って作られるもの」って言いましたけど、10年以上のアルバイトの中で紙を1枚1枚重ねるように膨らんで、厚くなってきたんだと思います。覚悟ってものが。だから、20代の頃の自分に比べたら、40代、50代の覚悟は全然違うんです。

 

「自殺だけはしないって。だってジ・エンドじゃもったいないじゃない」

「自殺だけはしないって。だってジ・エンドじゃもったいないじゃない」	(1)

―「人生の転機」の話に戻そうかと思うんですが、和嶋さんもいろいろあったわけですよね。結婚、離婚……と。

人間の可能性って無限だと思うんです。でも、現実的なキャパシティーってのがある。だからその人のキャパシティーの割り振り、どこに比重を置くかで人生の内容が変わってくる。自分は音楽を最優先にしてきたけど、逆に、音楽以外自分が全力を傾けられる対象がなかったってのもありますね。人生の転機のたびに「ほかに何ができるんだ?」「俺には他にないな」って。自問自答してました。40過ぎてバンド辞めたら、残りの人生アルバイトしか残らない。だから怖いのよ。背筋がヒヤっとする。そういう経験何度もして。だから続けるしかない。背水の陣になっちゃったもん。辞めるに辞められない(笑)。別の言い方をするとね。
で、あるとき、すべてを完璧には無理なんだって気がついたんです。何か選んだら、必ず何かを犠牲にせざるを得ない。例えば結婚に関して、家族を作っちゃったらやっぱりそれが1番になっちゃって音楽のエネルギーがなくなっちゃうんだろうなと。怖かったですよ。だから結婚も1回しましたけど、結局、離婚っていう選択をした。うまくできる人もいるんだろうけど、自分にはそのキャパシティーがなかった。そういうバランスって大事なんだと思います。月並みですけど(笑)。

―いや、確かにバランスって大事ですよね。むしろ、和嶋さんが言うと重いです。

相当苦しみましたから。だからこそ言いたいのは、人生で今、苦しい人は苦しいことを苦しいと思わないでそれを楽しむとね、人生っていろんな見方があるんだなって思えますよ。仕事でも何でも、嫌なことっていっぱいある。俺も収入の低いアルバイトずっとしてたからわかるけど、でもそれなりに毎日発見がありました。バイト先でこっち見てる奴がいるな~って思ったら、それが毛皮のマリーズだったりさ(笑)。でも、バンドでもバイトでも、仲間と楽しく過ごすってのはとても大事なことなんだよね。

―なんか、ある意味すごくポジティブですよね。全然、屈折してないっていうか(笑)。

あれ? ほんとだ(笑)! でもね。ずーーっと、自殺だけはしまいと思ってたんです。ある程度下まで行くと自殺って選択肢も出てくんのよ、これがね。ちょっと、キツい話になるかな。でも同世代だから言っても良いか。いや、あえて言いたいんですね。ホントに、どん詰まりまでくると自殺の選択肢って出てくるんですよ。したやつもいましたもん。
人生のギリギリの時には3つの選択肢が出てくるんですよ。「社会復帰」と、「そのまま好きなことを続ける」と、「人生辞めちゃう」っていう三択。ああ、あと犯罪っていうのもあるんだろうけど、そこはやりたくなかったね。犯罪と自殺はやりたくなかった。ほんとに終わっちゃうじゃない。ジ・エンド。ジ・エンドじゃもったいないじゃない。

―そういうギリギリの時、何が救ってくれたんですか?

俺の場合は、自分が音楽を作っているってことに救われた。逆に、他人は救ってくれないんだなってことがわかった。ほんとに苦しくなって、自分が悩んでいる時は、友達も優しい言葉かけてはくれるんだけど、救ってはくれないんだ。救えないんだよ。そういうとき、誰もお金も貸してくれないから。「こいつに貸しても戻ってこないな」ってオーラ出しちゃってるんだよ(笑)。
だから暗闇のなか、自分で光を見つけなくちゃいけない。でもそこまでいくと、人生は結構変わるの。ホントに変わるよ。だから苦しみっていうのは、実はラッキーなんだってことを同世代の人には言いたいなぁ。いろんな試練がくる。老後、年齢、親の介護。これからどんどんどんどん来るんだけど、それをクリアしていくのが人生かな。

―そこで自分の好きなものがあれば……。

そう。それが間違いなくよりどころになる。必ずなるから。でも、わき目も振らず好きなことだけでもダメなんですよ。そうなると誰も協力してくれない。好きなことやるために、いろんなところに頭を下げなくちゃいけないし、もし親の面倒を見なきゃいけなくなったとして、1人じゃ難しそうなら兄弟や家族にも頼んだりしなくちゃいけない、介護士さんに頼んだりもしなくちゃいけない。だから結局は大事なのは、この歳になるとバランスなんですよ。そこのところを大切にしてください。そして苦しみを楽しんで。

―身に沁みます、ホント。今日はどうもありがとうございました。とりあえず、息子に『屈折くん』読ませます(笑)。

はい(笑)。ありがとうございました。ああ、でも自殺の事言えてよかったな。あまり取材で言わないですけど今回なら言える。言えてよかったですよ。

「自殺だけはしないって。だってジ・エンドじゃもったいないじゃない」	(2)
 

 


<人間椅子 info>
人間椅子オフィシャルサイト
http://ningen-isu.com/
 

New Release

「自殺だけはしないって。だってジ・エンドじゃもったいないじゃない」	(3)

『おどろ曼荼羅 ~ミュージックビデオ集~』
2018年04月04日発売
Blu-ray / TKXA-1119 / 4,000円(税込)
DVD / TKBA-1251 / 3,000円(税込)

 


Live
2018年春 ワンマンツアー
『おどろ曼荼羅~人間椅子2018年春のワンマンツアー』(全11公演)
4月1日 高松 Olive Hall 
4月3日 神戸 Chicken George
4月5日 博多 DRUM Be-1
4月7日 沖縄桜坂 セントラル (沖縄公演のみオープニングアクトあり)
4月9日 大阪 umeda TRAD(前AKASO)
4月11日 名古屋 Electric Lady Land 
4月18日 札幌 cube garden 
4月20日 仙台 CLUB JUNK BOX
4月22日 青森 Quarter
4月24日 宇都宮 HEAVEN’S ROCK Utsunomiya
4月27日 東京渋谷 TSUTAYA O-EAST

全11公演、前売りチケット絶賛発売中!


Photo:Great The Kabukicho
Text:ヴィンセント秋山
Edit:仲田 舞衣