「まつりの作り方」誰もが驚いた世紀の奇祭~橋の下世界音楽祭(愛知県豊田市)


近年、野外フェスに行き慣れた人たちが辿り着く場所として、祭りや盆踊りに注目が集まっているのをご存知でしょうか? 祭りといっても特定の地域で代々受け継がれてきたものだけではありません。近年になって新しく始められたもののなかには、町おこしを目的にしたものがあれば、地縁に限らない新しい「縁」を作り出すことを目的にしたもの、土着文化への関心から始められたものなど、テーマはさまざま。いずれも野外フェスにはない祝祭感・熱狂が多くの音楽リスナーの心を捉えているようです。

この連載では、今までにないやり方で「新しい祭り」を始めた方々にインタビュー。始めるうえでのノウハウを伺っていきます。ひょっとしたら停滞した社会を変えるヒントがここにあるかも?

「ハードコアのあのバンドとレゲエのあの人がいっしょにやったらいいのに」


今回お話を伺うのは、愛知県豊田市で開催されている「橋の下世界音楽祭」の主催者のひとり、根木龍一さんです。

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橋の下世界音楽祭がスタートしたのは2012年。豊田市のシンボルのひとつ、豊田大橋の下に広がる広大な空間を舞台とするこの祭りには、これまでに国内外のさまざまなアーティストが出演してきました。
 

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祭りのテーマのひとつが「伝統」と「アジア」。そのため、出演するバンドも「伝統」への意識を持つ面々が数多く選ばれているほか、阿波おどりや郡上おどりの団体、民謡の歌い手、古典芸能や民族音楽の担い手など、通常の野外フェスにはないラインナップが並びます。
 

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また、メインステージである「本丸」とサブステージである「下町」のほか、江戸時代から抜け出してきたような出店ブースが毎年立ち並ぶのも橋の下世界音楽祭の特徴。ユニークな非日常空間が話題となり、2012年のスタート以来、その規模は年々拡大。いまや日本各地から人々が集まる巨大な祭りとなりました。
 

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そんな橋の下世界音楽祭の制作面での責任者でもある根木さんは、神奈川県横浜生まれ。90年代からコヤニスカッティという横浜で活動する団体のイベントやお店の手伝いをするようになり、2002年にはコヤニスカッティの主催による音楽イベント「MEETS★REVOLUTION」を皮切りに、本格的に音楽制作の仕事に携わるようになりました。

「もともとイベントの制作側のことをやってみたかったんですよ。若いころからいろんな音楽を好きだったから、『ハードコアのあのバンドとレゲエのあの人がいっしょにやったらいいのに』みたいなことはよく考えてましたね。でも、やっぱりジャンルの壁みたいなものがあって、どうしても交わらない部分も多い。だから、『MEETS★REVOLUTION』ではパンク・バンドと民族音楽のグループが一緒に出るようなイベントにしたかったんです」

同じころには愛知県豊田市のパンク・バンド、TURTLE ISLANDのリーダーであり、のちに橋の下世界音楽祭をともに立ち上げることになる永山愛樹さんとも出会います。

「愛樹との出会いは大きかった。海外でやりたいという共通の目標があったし、人間的にも波長が合ったんでしょうね。当時はお互い時間があったし、ずっと遊んでましたね」
 


2007年には自身のレーベル、microActionを設立。2008年4月にはKAIKOOとの共同主催によるフェス「KAIKOO meets REVOLUTION」を横浜ZAIMで2日間にわたって開催し、大きな成功を収めます。
 


その後もTURTLE ISLANDの海外ツアーを実現するほか、海外アーティストの招聘、葉山BlueMoonをはじめ、東海地区を代表する音楽フェス「TOYOTA ROCK FESTIVAL」のブッキングも担当。十代からの目標を次々に達成していきます。そんな根木さんが次に取り組んだのが、「新しい祭り」を始めることでした。

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「『きっとうまくいく』と思い込むところから始まる」

「『きっとうまくいく』と思い込むところから始まる」(1)「『きっとうまくいく』と思い込むところから始まる」(2)

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橋の下世界音楽祭の舞台となる愛知県豊田市は、名古屋から電車で1時間ほどの郊外。この地では90年代から路上でのゲリラ・ライブがさかんに行われていたといいます。出演者は地元のパンク・バンドが中心。のちにTURTLE ISLANDのメンバーとなる少年たちも中学生のうちからそのゲリラ・ライブに参加。演奏をおこなうだけでなく、ライブの裏方も長年経験していたそうです。

「(TURTLE ISLANDの)愛樹なんかはそこでかなり鍛えられたと思いますよ。豊田にはライブハウスがないから、電気は自分で用意するものだと思ってたみたいだし。豊田にはそういう土壌があったんですよね」

東日本大震災の傷跡がまだ生々しく残る2012年、根木さんたちは新たな祭りを立ち上げます。それが橋の下世界音楽祭でした。

「そのころには自分も既存の音楽フェスティバルとは違うものをやりたくなってたんですよ。山中のフェスにも90年代からさんざん遊びに行ってたから、自分の中でも飽きてしまって。あと、大きいのは東日本大震災。自分たちでも『何かやりたい、やらなきゃ』という気持ちが高まってきて、それで『フェスじゃなくて、祭りをやろう』と。自分と縁のない土地を借りてフェスをやることにも何か違和感を感じ始めてたので、会場はTURTLE ISLAND結成の地である豊田大橋の下。ただ、あの場所は国の持ち物なんで、入場料を取れないんですね。普通は祭りも入場料を取らないし、だったら投げ銭でいいじゃないかと」

入場無料の投げ銭制にもかかわらず、中国で活動する内モンゴルのバンド、ハンガイや、アイヌの伝統文化を取り入れたOKI DUB AINU BANDら国内外のアーティストが出演した1回目は、大きな盛り上がりを見せます。根木さんはその1回目について「大変でしたね、やっぱり」と話します。

「俺と愛樹はいつも『きっとうまくいく』と思い込むところから始まるんですよ。いいところなのか悪いところなのか分からないけど(笑)。協賛を集めようにも大きな会社がついて『○○○○ presents』みたいになるのもイヤだし、とにかく最初はお金がなくて。ただ、『ここから何かが始まる』っていう雰囲気がありましたよね」

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「ぬ組」と呼ばれる主要運営スタッフの数はだいたい50人程度。祭りの制作、申請、挨拶回り、大工仕事やボランティアの仕切り、廃材収集チーム、出店担当など、細かく担当が分かれていますが、その多くが豊田市在住者で構成されているといいます。また、音響や舞台監督は愛知や山形、東京のプロが担当しているほか、全国各地から集まったボランティアが祭りを支えています。驚くことに、個性的なステージや横丁の大部分はTURTLE ISLANDの仲間たちによるもの。

「ちょっとしたステージもできるだけ廃材を使ってやろうということは最初から話してました。豊田の人たちは本職が土方関係という人も多くて器用だし、みんなフォークリフトに乗れるんですよ(笑)。そこも強みだと思います」
 

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現在の来場者は15,000人ほど。1年目は現在の半分から1/3ほどだったことを考えると、倍以上の規模になりました。そのため、投げ銭は年々増えているものの、比例するように出演者の数やステージも増えていることもあって、最終的な収支は「毎年なんとか赤字にならない程度」だといいます。

「投げ銭にして良かったと思うのは、(主催と観客の)垣根がなくなるんですよ。お金を払った対価を求めなくなるというか。来てくれる人みんなが『自分が主催者』という意識を持ってくれたら嬉しいんですけどね」
 

「同じ感覚を持てる人たちと一緒にやっていきたい」


2013年からはオフグリッド太陽光独立電源システム「Personal Energy」がステージなどの電力をまかなうように。ソーラーシステムによる発電のため、天候によって電力が足りなくなり、ライブが行えなくなる場面もありましたが、ここまでの6年間、祭りが中止となることは奇跡的にありませんでした。
 

「同じ感覚を持てる人たちと一緒にやっていきたい」(1)

「同じ感覚を持てる人たちと一緒にやっていきたい」(2)


そんな祭りを続けてきた根木さんに、祭りを始めるうえで大切なことを聞いてみました。

(1)うまくいくと信じること
「通常のライブハウスの興行だったら、起きるだろう問題もある程度読めるんですよ。でも、野外の祭りになると不確定要素が多くて、やってみないと分からないことが多い。たとえば、ソーラーでやってるから雨が降ったら開催できないわけじゃないですか。でも、みんな『大丈夫だ、絶対に降らない!』と言い切るんです(笑)」

(2)妥協しないこと
「飲んでるとアホみたいな発想がいくらでも出てくるわけですけど、それを本当に実現しちゃうかどうかだと思うんですね。ラインナップに関しても毎回すごくもめるんですよ。でも、そこについても妥協したくなくて。橋の下に関しては、同じ感覚を持てる人たちと一緒にやっていきたい。その意味ではやっぱり縁を大事にしてますね」

(3)自分が楽しむこと
「やっぱり、おもしろくないとダメなんですよね。笑えない瞬間もいっぱいあるけど、なんとか乗り切って、あとで笑い話にしちゃうんです。あと、やっていると自分のなかで喜びが爆発する瞬間があるんですよね。そうやって自分を喜ばせることも大切だと思います」

(4)大変なことをやること
「『大変』というのは『大きく変わる』ということでもあると思うんですね。何をするにしても、チャレンジ精神を持つことは重要だと思っていて」

(5)やりはじめたら、やりとげること
「小さいころ、おじいちゃんに色紙を渡されたことがあったんですけど、そこにこの言葉が書いてあったんですよ(笑)。橋の下も5年目に自前の櫓を作ったんですけど、大工さんには愛樹が『100年使える櫓を作ってくれ』とお願いしたんです。やりはじめたので、やりとげようということですね(笑)」

根木さんは続けて「人と実際に会うことも祭りを作るうえで重要ですよね。ひとりで考えるより、人と会って対話し、交渉すること。それも大切だと思います」と話したあと、「とはいえ、基本的には、難しいことばかり考えてたらこんなことできないですよ(笑)」と豪快に笑います。
そんな彼らの熱量が来場者のあいだにも広がっているからこそ、豊田大橋の下には特別な空間が広がっているのでしょう。橋の下世界音楽祭は来年も春に開催予定。気になる方はぜひ会場へ!


http://soulbeatasia.com/2017/


Text:大石始
写真:ケイコ・K・オオイシ