Californian Grave Digger~極私的ロック映画5選 (パンクロック編)~

 

ポップカルチャーの世界は常にファッションやアート、そして映画と有機的にリンクし、温故知新を繰り返しながら変化し続ける。そして、その変化と進化が最も顕著に表現される大衆娯楽=ポップカルチャーから見えてくる新たな価値観とは何かを探るべく、日本とアメリカ西海岸、時に東南アジアやヨーロッパも交えつつ、太平洋を挟んだEAST MEETS WESTの視点から広く深く考察する大人向けカルチャー分析コラム! 橋のない河に橋をかける行為こそ、文化のクロスオーバーなのである!

今、改めて定義する“ロックンロール映画”とは!?

ロック映画に関しては、これまで"ドキュメンタリー"の観点から、パンクロックとヘヴィーメタル、そしてソウルミュージックのジャンルにおけるマストな作品について極私的な感想を交えつつレビューを執筆させていただいた。その延長戦、というワケではないが、今回から趣向を変えて、ドキュメンタリー作品ではなく"ロックンロール"そのものをテーマにした映画作品についてレビューを語り倒してみたい。しかし、ともすれば定義が曖昧になりがちなのが、ロック映画を筆頭に音楽映画にはつきものだ。そこで本題に入る前に筆者が思うロック映画の定義を3つ挙げておこう。それと同時に、ロック映画であるか無いかの可否についても、その解説をしておきたい。

1つ、ミュージシャン、もしくは音楽を目指すなり諦めるなりした人物が描かれていること。
【定義解説】
ロックが主題なら当然の設定だが、そう見せかけて全然関係ない内容の映画も、たまにある。

2つ、映画のサントラのほとんどがロックミュージックで構成されていること。
【定義解説】
サントラにセンスのいいロックが収録されていても本編では全然使われてなかったり、そもそも映画自体はロックではなくギャング映画だったり(タランティーノ作品など)する場合も、たまにある。

3つ、本物のミュージシャンが(チョイ役でもいいから)出演していること。
【定義解説】
これ重要。ロックがテーマの映画でなくとも、著名なミュージシャンが特別出演しているケースは意外とよくあるので注意が必要。

以上の3つの定義のうち、2つ以上を満たしていれば、それは立派なロックンロールの映画ではないかと筆者は勝手に解釈している。まあ、あくまで"極私的"な選考基準なので、細かい矛盾点などあっても見逃してほしい次第。毎回のことながら長い前置きに成ってしまい恐縮だが、とっとと本題に突入しよう。まずは、わかりやすさが一番! みんな大好きパンクロック編からスタートだ!

 

『ザ・グレート・ロックンロール・スウィンドル(原題:THE GREAT ROCK'N'ROLL SWINDLE)』(1980年)

 

パンクロックの始祖にしてオリジネイターであり、反逆世代の代弁者として不滅の人気を誇るパンクバンド、セックス・ピストルズと彼らをプロデュースしたトリックスター、マルコム・マクラーレンを主人公に置いたミュージック・クリップ風の似非ドキュメンタリー作品。YouTubeで貴重なピストルズのライブも簡単に観られる今の時代から考えると信じられないかもしれないが、四半世紀前まではマトモなピストルズの映像といえばこの映画ぐらいしか存在しなかった。内容はピストルズの映画というより、マルコム・マクラーレンというマネージャー兼プロデューサーが、如何に狡猾に世間を欺きピストルズを売りにだしたかという、あって無いような物語を脈絡なく断片的に編集したものだが、監督を務めたジュリアン・テンプルによる、後に訪れるミュージック・ビデオのムーブメントの先駆けとなるような映像センスは今でも全く色褪せることはない。
とはいえ、あくまでも本作は悪徳マネージャーを自称するマルコムから見たピストルズ映画でしかなく、ジュリアン・テンプル以前にオファーを受けた監督には、ハリウッドを追放されていたマイケル・サーン(代表作『マイラ むかし、マイラは男だった』1970年)や、巨乳アクション映画の名手ラス・メイヤー(代表作『ファスター・プッシーキャット・キル!キル!』1965年)の名も候補に上がっており、マイケル・サーンは初期プロットの撮影にまで漕ぎ着けていながら、マルコムと意見が対立して降板している。ちなみに、本作を観た人の大半に強く印象付けられた「誰がバンビを殺したか? WHO KILLED BAMBI」のコンセプトはマイケル・サーンの手によるものらしい。
それはともかくとして、マルコムの野望に利用されたピストルズのメンバーたちは本作に大層ご立腹で、公開から20年が経過した2000年に、同じジュリアン・テンプルを監督に正統なピストルズ映画『NO FUTURE A SEX PISTOLS FILM (原題 The Filth and the Fury)』を公開。マルコムの意向でカットされていたシーンと新たに発掘された貴重映像と共に再構築された内容は、これまたファン必見。この2本は観比べてこそ意味があるという点では、ロック映画としても稀有な作品といえるのだった。

 

『バタリアン(原題:THE RETURN OF THE LIVING DEAD)』(1985年)

 

いきなりのゾンビ映画の登場に、どこがパンクロックなのかと疑問に思う方もいるかもしれないが、筆者は笑顔で断言しよう。『バタリアン』こそ、パンクとゾンビが融合した大怪作であると! 当時の流行語"オバタリアン"の語源として有名になってしまった他、配給会社のバイタリティー溢れる宣伝センスによって単なるゾンビ系ギャグ映画だと思われがちだが、さにあらず。実は本作は原題(直訳すると『生ける屍の帰還』)の通り、故ジョージ・A・ロメロ監督が生み出した元祖ゾンビ映画『NIGHT OF THE LIVING DEAD 生ける屍の夜』(1968年)の正統パロディーなのである。監督は、SFゴシックホラーの金字塔『エイリアン』(1979年)にて脚本デビューを果たしたホラーの名手ダン・オバノン(故人)。映画のそこかしこにオリジナルに対するリスペクトを込めたパロディー描写が散りばめられており、「1968年の映画は現実に起きた事件」だとか「映画では脳を撃ったら死ぬはずなのに死なない」などはゾンビ映画の定石を覆す展開は非常に斬新。それより何よりも注目なのが、ゾンビだらけになると知らずに墓場でダンスパーティーに興じるパンクス軍団である。かつて描かれていたゾンビから逃げ惑うか弱きヒロインや家族連れとは違い、鋲ジャンにモヒカン、鎖やバットで武装したパンクスたちがゾンビと対峙し、無残に食い散らかされる光景は、85年という曖昧でPOPな時代性をも見事に反映させており、同時にマイケル・ジャクソンの「スリラー」へのオマージュにもなっている。さらにサントラに参加したパンクバンドも豪華絢爛。サイコ&ホラーパンクのTHE CRAMPSによる「Surfin' Dead」に始まり、45 Graveの「Partytime」、T.S.O.L.の「Nothin' For You」、そして大御所THE DAMNEDは「Dead Beat Dance」を提げて参加。パンクとゾンビの融合という意味では、これ以上の作品は無いと文頭で断言した理由をご理解いただけたかと思う『バタリアン』も、ゾンビ映画としてはヒットを記録し、現在まで4本の続編が製作されている。パート2のみ子供向けに路線変更されているが、パート3以降はパンクテイストが復活。パート4に至ってはウクライナで製作され、世界初のチェルノブイリでロケ撮影敢行など、攻めの姿勢を維持している。

 

Partytime
45 Grave

 

Nothin' For You
T.S.O.L.

 

『レポマン(原題:REPO MAN)』(1984年)

 

これまた80年代中盤に登場し、後のサブカルチャー・シーンに多大なる影響を与えた、というのは些か大げさかもしれないが、パンク映画としては前述の『バタリアン』と並ぶ間違いなく超傑作に位置する作品である。タイトルの"レポマン"とは、借金のカタに車を回収するバウンティ・ハンターのような職業を指す隠語。主人公はエミリオ・エステベス演じる、超うだつの上がらないパンクス青年オットー。バイト先のスーパーマーケットは解雇され、パンクスであるがゆえに家族からは白い目で見られ、もう八方塞がりやけのヤンぱちのオットーだったが、手軽かつバイオレンスに金を稼げるレポマンなる仕事と出会い、人生の転機を迎えることとなる。しかし、そう簡単に人生うまく運ぶはずもない。ある日、超高額の賞金目当てに回収した車には、なんと異星人の遺体が積まれていたことが発覚。政府機関からマークされたオットーの、命がけの逃避行の結末や如何に?
設定こそコメディタッチのSFながら、映画全編に流れる空気感はドライかつシビア。車専門の賞金稼ぎというアメリカ合衆国らしい職業も当時は衝撃だったが、やはり注目はサントラ。もうパンクバンド並びにパンクロッカーの豪華メンツで埋め尽くされており、ある意味映画本編よりもサントラが主役と言い切れる。以下、参加アーティストと曲名を箇条書きで紹介しよう。

 

・「REPO MAN」/IGGY POP
・「TV PARTY」/BLACK FLAG
・「INSTITUTIONALIZED」/SUICIDAL TENDENCIES

 

Institutionalized (Album Version)
Suicidal Tendencies

 

・「COUP D'Etat」「When The Shit Hits The Fan」 /The CIRCLE JERKS
・「Let's Have a War」 /FEAR

 

Let's Have A War
Fear

・「EL CLAVO Y LA CRUZ」 / THE PLUGZ
などなど……

 

どうですか? このメンツ! 素晴らしすぎて失禁ものです! 筆者は中学時代にこの映画を観て、アメリカのハードコアパンクの存在を知りました。当時この手のバンドの映像は輸入ビデオのパンク専門レーベル"TARGET VIDEO"(最近ドキュメンタリー映画化された)でしか、その片鱗を確認する術がなく、二泊三日レンタルで千円とか法外な値段のレンタル料を、少ない小遣いやバイト代から捻出して鑑賞したのも良き思い出。ホントYouTubeってすげえなあと、ついでに感心してしまうのはパンクス高齢化問題の証しですかね。閑話休題。
本作を監督したのはパンク映画作家として熱い視線を集めていたアレックス・コックス。その手腕が買われて次作には伝説のパンクカップルの破滅型人生を映画化した『シド&ナンシー SID AND NANCY』(1986年)も送り出し、パンク誕生10年目にしてセックス・ピストルズ再ブーム到来のキッカケを作り出すも、その内容は事実誤認と偏見に満ちたもので、バンド関係者やシドの親族からの評価は最悪。そもそもシドが本当に刺殺犯であったかは状況から見ても非常に疑わしく、謀略による冤罪説も捨て切れない賛否渦巻く中で、シドが犯人として一方的にストーリーが進む様はちょっとやりすぎ感あり。勇み足が目立つようになり、ニカラグアの革命家の半生を映画化した『ウォーカー』(1987年)にて、盟友ジョー・ストラマーをサントラに迎えるも興行的に失敗したことで失速。現在はパンク風味が薄まり手堅い演出する普通の監督になってしまった。
それでもとにかく80年代のパンク映画といえば、『バタリアン』と『レポマン』に尽きる! と、断言したいところだが、実際には当時の評価からこぼれ落ちた作品もあるので、そういった映画もこの機会を逃さずしっかりとレビューしておきたい。

 

『N.Y. バッドボーイズ(原題:DUDES)』(1987年)

 

80'sパンクムーブメントに若干遅刻気味の時期に突如現われた『N.Y.バッドボーイズ』なる作品。ダサい邦題からは想像つかないかもしれないが、実は本作、この連載におけるドキュメンタリー映画パンク編でも紹介したカルフォルニア・パンクムーブメントを捉えた大名作『ザ・デクライン』の監督ペネロープ・スフィーリスがメガホンを取った、非常に由緒正しいパンクドラマなのだ。しつこいようだが、ダサい邦題のせいでこれまで見落とされがちだったのが正直悔やまれる。ペネロープ監督といえば、『ザ・デクライン』以外にも『反逆のパンクロック』(原題:SUBURBIA/1983年)なんて、どストレートなタイトルの映画も送り出している。勢いのあるタイトルだが内容は結構暗く、レッド・ホット・チリ・ペッパーズの変態ベーシスト、フリーが映画初出演であること。また低予算映画の帝王、ロジャー・コーマンが世間のパンクムーブメントに便乗して製作した映画であることと、サントラにD.I. (Richard hung Himself)、T.S.O.LことTrue Sounds Of Leberty (Wash Away、Darker My Love)、VANDALS (Legend of Pat Brown)ら地味だけどチョイスが渋いバンドが参加していることぐらいしか、筆者的には書けることが無い内容なのだが、意外と支持するファンも多いので下手なことは書けない。
そこで『N.Y. バッドボーイズ』の登場である。『反逆の~』が地味に暗い内容だったことの反動なのか、本作は悲しくも痛快な復讐劇に仕上がっている。物語はニューヨークで落ちこぼれた生活を続けることに嫌気がさした3人のパンクス……そのうち1人にはフリーが抜擢! この3人がカルフォルニアを目指して車で旅するロードムービーかと思いきや、途中の西部でレッドネックのグループに絡まれた上にボコボコにされ、挙句フリーが殺されるという急展開! 残された2人は復讐に燃え、道中で出会ったガンマンやネイティブ・アメリカンから戦い方を教わりながら過酷な修行の末に成長し、フリーの仇討ちに走るという物語だったりするから、ダサい邦題だけで判断するのは危険なのである。しかし本作は残念ながら日本語字幕入りのDVDは未発売。現在廃盤となったレンタル向けVHSでしか鑑賞する術がない。もしかしたら突然AmazonプライムビデオとかNetflixに登場する可能性もあるので、今後とも予断は許されない状況である。

 

『MY BUDDA IS PUNK』(2015年/日本未公開)

 

最後に紹介するのは、目下のところパンク映画の最新作であり、しかもドイツとミャンマーの共同製作による東南アジアのパンクス、並びにパンクロック・シーンを描いた非常に珍しい映画『マイ・ブッダ・イズ・パンク』の登場だ。実は筆者もまだ未見であり、予告編映像をYouTubeで観て興味を持ち調べたところ、昨年秋にタイの映画祭で上映決定との情報を掴んだ。が、映画祭は野外開催なのだが、折しも季節は雨季ど真ん中のために土砂降り豪雨で上映は中止。未だに観られていないのが悔しくて、ここで紹介することで日本で上映されるキッカケになればという思いで取り上げた次第。東南アジアのパンク映画といえば、インドネシアのジャカルタで活躍するパンクバンドにしてコミューンでもあるマージナル (MARJINAL)が有名だが、フィリピンやタイ、そしてミャンマーにも少なからずパンクバンドとパンクスは存在する。逆に社会主義国家であるベトナムやラオス、イスラム圏のマレーシアなどには殆どパンクロックが存在しないが、HIP HOPは大流行という現象もよくわからない。
それはともかくとして、『マイ・ブッダ・イズ・パンク』はロヒンギャ難民問題で揺れるミャンマーという新興国が抱える問題や、そこに生きる若きパンクスたちのオピニオンが、どこまで描かれているのか気になって仕方がない。DVD発売だけでも実現してほしいと切に願うことを、本稿の締めとさせていただきます!
STAY PUNK!!


Text:マスク・ド・UH/Mask de UH a.k.a TAKESHI Uechi