夢、葛藤、成り上がり―。GINZA ROOTS TOKYOに辿り着いた高岩遼とジャズ

夢、葛藤、成り上がり―。GINZA ROOTS TOKYOに辿り着いた高岩遼とジャズ

東京、銀座。ハイブランドのショップがひしめき合うこの街に、人々から羨望の眼差しを向けられているダイニングバーがある。

その名は「GINZA ROOTS TOKYO」。銀座2丁目の一等地、ビルの7階にあるこの店は、ハイソサエティな雰囲気が漂い、銀座、そしてジャズを愛する“通”の人々が連日訪れる。そんな憧れの店に、若き一人のジャズボーカリストが訪れた。

高岩遼、27歳。2013年に同じ大学のメンバーによるジャズとロックを融合させた「ザ・スロットル」を結成。同年に、ジャズ×ヒップホップグループ「SANABAGUN.」、2015年には「SWINGERZ」という総勢13人のクリエイター集団を立ち上げるなど、今、ミュージックシーンで熱き注目を浴びる男だ。

そんな彼のルーツはここ銀座にもある。かつてこの地で、ジャズボーカリストとして修行した過去を持つという。再び銀座に舞い戻ったその胸中はいかに? 憧れのGINZA ROOTS TOKYOで、オーナーの橋本武士さんと銀座、そしてジャズ談義に花を咲かせた。

僕の“東京感”が、このGINZA ROOTS TOKYOにはある

僕の“東京感”が、このGINZA ROOTS TOKYOにはある(1)


GINZA ROOTS TOKYOは、ニューヨークにある高級ブティックホテル「グラマシー パーク ホテル」のラウンジをイメージし、広々とした店内は、バーカウンター・ダイニング・ソファラウンジ・VIPルームによって構成されている。ここでは高級感あふれるテーブルや椅子、ソファで艶やかなムードに浸りながら、お酒はもちろん、カジュアルなイタリアンをコースで味わえる。 また同店は、DJブースに大型液晶モニター、プロジェクターなどを完備し、極上の音楽を楽しむことができるのも特徴だ。
 

僕の“東京感”が、このGINZA ROOTS TOKYOにはある(2)

 

僕の“東京感”が、このGINZA ROOTS TOKYOにはある(3)

 

僕の“東京感”が、このGINZA ROOTS TOKYOにはある(4)

 

僕の“東京感”が、このGINZA ROOTS TOKYOにはある(5)


到着した遼さん。ビシッと決まったスーツ、そしてインナーのレッドがこの店のカラーとバッチリ合っている。

高岩遼(以下、高岩):「このスーツ、銀座でジャズボーカリストとして修行していたときに着てたものなんですよ。今日のためにクローゼットから引っ張り出しました」
 

僕の“東京感”が、このGINZA ROOTS TOKYOにはある(6)


高岩:「出身は岩手県の宮古市、超田舎っぺです。ジャズの音大に行くために地元を出て、当時は川越に住んでました。銀座で働いていた店は、資生堂の本社の前ぐらいにありましたね」

と振り返る。改めて今回、GINZA ROOTS TOKYOをチョイスした理由を伺うと……。

高岩:「まずジャズを歌い始めた頃、店に来た偉いおじちゃんとかに、『おまえあの店行ったことないの?』って言われることがけっこうあって。『俺、ROOTS行ってきたんだよ』っていう感じが、すごいイケてたんですよ。18歳で東京へ出てきて、そこから20代前半の僕の “東京感”が、このGINZA ROOTS TOKYOにはある。当時行きたくても『まだタイミングじゃないのかな…』とか考えたりしてました。だけどようやく……今回話をもらって来れた、来たよ! って感じです」
 

僕の“東京感”が、このGINZA ROOTS TOKYOにはある(7)


そんな憧れの店を、一代で築き上げたのがオーナーの橋本武士さん。

橋本武士(以下、橋本):「僕は福岡出身で、東京の人からは『よくこんな一等地に広いお店持ってるね』『あなたは雇われ社長で、バックに誰かいるんでしょ?』とよく言われましたね」
 

僕の“東京感”が、このGINZA ROOTS TOKYOにはある(8)


華々しい“銀座ドリーム”を成し遂げた橋本さん。お店を始めたキッカケとは?

橋本:「この店は9年目なのですが、東京に来て最初は西麻布で店をやっていました。それこそ上京してすぐ、『東京ってこんな街なのか……』と洗礼を受けましたね。ただ銀座は、福岡に似ているところがあるんですよ。それは“来るもの拒まず”的なところ。ティファニーもブルガリもあれば、松屋も吉野家もやまちゃんラーメンもある。結果的に銀座が僕には合っていたのだと思います」
 

僕の“東京感”が、このGINZA ROOTS TOKYOにはある(9)


また、夢を叶える場所として銀座を選んだのには、ある歌の存在があったという。

橋本:「吉幾三さんの『俺ら東京さ行ぐだ』の中で、《銀座に山買うだ》ってあるじゃないですか。やっぱ田舎者にとって、東京での最終目的地は銀座っていうのがあったんでしょうね。西麻布の後、最初は銀座なんて全く頭の中に無かったんですが、ある方の助言で一度見に行ってみるかとなって。物件屋さんにいくつか紹介してもらったんですけど、良いのが見つからなかったんですよ。諦めて嫁さんと寿司でも食って帰ろうかな……って通ったのがたまたまこの店の前。テナント募集が貼ってあって電話したら、トントン拍子で話が進みました」
 

僕は“スーパースター”になりたくて地元を出た

田舎者が東京で夢を叶える――その気持ちは、音楽を生業とするため地元を出た高岩遼にとっても同じ。銀座でジャズボーカリストとして歌っていた当時の記憶とは?

高岩:「最初は町田にあったお店に応募したんですよ。当時お付き合いしてた人に『こういうのあるよ。もうパチンコ屋のバイト辞めなよ』って言われて。それで応募してオーディションに行ったら、『男か?』みたいな。“お姉ちゃんじゃないとダメ"っていうのがあったんですよ。『でもやらせてください!』ってお願いして働き始めました。そしたらそこが銀座にも店を出すから行って来いって言われて。そこから銀座通いが始まりました。ステージは夜9時ぐらいから2から3時間。最初の頃、お客さんはほとんど僕の歌なんて聴かなかったですね。『今日はお姉ちゃんのボーカルじゃないのかよ』って感じで。でも地元の話を挟んだりすると、少し食いついてくれたり。それが1年半から2年ぐらい続きました」
 

僕は“スーパースター”になりたくて地元を出た(1)


高岩:「町田のジャズクラブに初めて行ったとき、『今日はボーカルのほかに、バンドのオーディションもあるから』って店の人に言われて。その中に、すごいヒゲ面で背が高いサックスやってるヤツがいて。オーディションに僕もそいつも受かって、後で話したらタメだったんです。そいつがSANABAGUN.の谷本大河です。そこからあとのメンバーもポンポン繋がっていった」

SANABAGUN.ではヒップホップ、ザ・スロットルではロック、そしてSWINGERZでは演劇にも挑戦するなど、さまざまな顔を持つ彼だが、その根底に流れるのはジャズだ。

高岩:「ジャズが僕の中のスタンダード。ずっと根っこにあります。岩手から出てきて、イナたいジャズクラブで歌って、生涯を終える……みたいのもシブくていいですけど、僕は“スーパースター”になりたくて地元を出た。なのでそういうスターダムを上るには、何かオリジナルなものがないとダメだと思ったんです。ジャズのスタイルだったらビッグバンドでやりたいんですよね。それで世界を回ってみたいなぁ。」
 

僕は“スーパースター”になりたくて地元を出た(2)


ギラギラとした野心を抱き地元を出て、今も試行錯誤しながら“スーパースター”を夢見て闘う高岩遼。そんな彼を、橋本さんはどのように見ているのだろうか。

橋本:「最初に写真を見たとき、『すごい昭和だな』と思いました。それこそ昔の(石原)裕次郎とかの映画に出てきそうなタイプというか。僕は商売的に、人の顔とかすごい覚えてそうに思われるんですけど、実はすごく苦手で。でも写真を見た次の日に、コンビニで雑誌を立ち読みしたら高岩くんが出てて、思わず止まりましたからね。最初に紹介されたときは、やっている音楽が幅広くてあまり掴めなかったんですが、話を聞いて理解できました。ジャズから派生する音楽がいっぱいあっていいと思うし、閉鎖的になっては新しい音楽は生まれない。なので高岩くんのような人がどんどん発信していってほしいなと思います」
 

僕は“スーパースター”になりたくて地元を出た(3)


橋本:「基本的に店ではボーカルもののジャズや、ラテンっぽいジャズをかけます。銀座っていう場所柄もありますし、あとジャズが苦手だっていう人はあんまりいないと思うんですよね。去年は中央区と港区と合同でジャズフェスティバルを開催して、その会場にも選んでいただきました。いろんなジャズのミュージシャンを呼んで、そこに和太鼓が入ったり、タップダンスも入ったり」

ジャズをベースにした幅広い音楽。GINZA ROOTS TOKYOは、まさに高岩遼という男にぴったりの場所といえる。そんな彼に、現時点での自分とジャズの距離感を伺うと……。

高岩:「ジャズは……全くわからないですね。何がジャズかっていう定義って、アカデミックなものではいろいろありますけど、ジャズマンは誰も“これがジャズだ”って辿り着けてないと思います。なので僕の歳ではジャズは……宇宙過ぎます」
 

That's All…愛してる、それだけだよ

That's All…愛してる、それだけだよ(1)


今回、高岩遼には“銀座で思い浮かぶプレイリスト3曲”を挙げてもらった。その3曲は全て、フランク・シナトラ。

Prisoner Of Love (Remastered Album Version)

Frank Sinatra

 

高岩:「シナトラのアルバムを買ったのが大学1年のときで、これが僕のバイブル。代官山のフレンチのウェイターをした後に銀座で歌うっていう時期があったんですけど、ハイソサエティなものを見せられる中で、道中の電車とかでこれを聴いてました。すごいロマンチックなので、春の清々しい空の日も、コートを羽織るような冬の凍える日も……さまざまな情景にマッチして、まさに銀座っていう感じがする曲です」
 

That's All…愛してる、それだけだよ(2)

 

Then Suddenly Love (Remastered Album Version)

Frank Sinatra
 

高岩:「シナトラの中ではマニアックな曲だと思うんですけど、ビッグバンドがすごい豪華で、後期のセレクションからです。とても華やかで……ザ・スロットルの熊田と、この曲いいよねってよく言ってましたね。彼はビング・クロスビー派だけどね。」
 

That's All…愛してる、それだけだよ(3)

That's All (Remastered Album Version)

Frank Sinatra
 

高岩:「珠玉のバラードです。That's All…愛してる、それだけだよ、みたいな。女性のボーカルはもっとスウィングが速いテンポで歌うんですけど、シナトラはゆっくり、歌詞になぞって歌っていく。それがすごいロマンチックで、大好きで……大切な曲です」
 

That's All…愛してる、それだけだよ(4)


これらの曲を聴くと、当時、悔しさを抱えながら銀座の街を歩いたことを思い出すという。 

高岩:「そうですね。でもそのときの感情が、ミュージシャンには大事な気がして。音楽っていいですよね、一瞬、そこに戻れるから」

さまざまな挫折や葛藤を経て、この日、GINZA ROOTS TOKYOでシナトラを聴きながら酒を嗜む。ここまでのストーリーに、高岩遼という男のスター性を感じる。

高岩:「でも今日はすごい緊張してここまで来たんですよ。そしたらライザップの方まで行っちゃって……やべえってダッシュで戻ってきました。ようやくここに来れましたけど、僕自身、ジャズが似合う男になるにはまだ相当時間がかかりますね。また今度来るときに、武士さんにいい報告ができるよう、これからも闘っていきたいです」
 

That's All…愛してる、それだけだよ(5)


日本のミュージックシーンを縦横無尽にかき回す男、高岩遼。ジャズを愛する男が、ジャズに愛されるまで、どれほどの時間を要するのか。それでも“平成の暴れん坊将軍”が次回ここを訪れたときには、さらに開けた景色を眺めながら、美酒を味わっていることだろう。
 

That's All…愛してる、それだけだよ(6)


GINZA ROOTS TOKYO
https://www.facebook.com/GINZA-ROOTS-TOKYO-248548105160232/

高岩遼 Twitter
https://twitter.com/takaiwaryo

高岩遼 Instagram
https://www.instagram.com/ryotakaiwa/?hl=ja

ザ・スロットル オフィシャルサイト
http://www.thethrottleweb.com

SANABAGUN. オフィシャルサイト
http://sanabagun.jp/


interview & text:ラスカル(NaNo.works)
photo:大石隼

 

THE THROTTLE

 

SANABAGUN.