─気持ちがアガる曲として人気の曲ですけど、リングの上でよく聞いていたという逸話は初めて聞きました! 活動された時期は同じ時代ですよね?
K:いや、歳も20近く離れているので先輩です。猪木さん、馬場さん、ジャンボ鶴田さんといった、そういう人のライバルだった。そして僕はハンセンの最後のライバルだったと自分自身では思っていて。若手の頃はボッコボコにされて、体の傷は全部ハンセンにやられた傷だというぐらい(笑)。それが最後にはハンセンに勝つようになって。そういう意味ではハンセンは異常に元気でしたよ。「若いやつに負けてたまるか」っていう。
現役時代は喋らなかったですけど、お互いに引退してからそういう話をしたら笑ってましたけどね。ハンセンに椅子でどつかれて大流血して、22針縫ったことがあるんですけど、「覚えてるか?」って聞いたら「Oh! ソーリー(笑)」って、そのぐらいでしたね。僕も翌日もう試合しましたしね。試合が終わった後は縫ってあった糸が一本ずつ取れて行くんです。
─ええー…。
K:でもまた縫えばいいですから。当時はケガするのは怖くなかったんです。それよりも試合に出られないほうが怖かった。昔ケガして、馬場さんと「休め」「休まない」っていうやりとりをしたことがあって。僕はその日、試合前のスパーリングで足をケガして歩けなくなったんです。その日は第1試合だったんですけど、今日は休めと言われて「出ます!」と。「休め!」「出ます!」と何度も言って。だって僕は馬場さんからそういう教育を受けているので。
でもその時は、「俺が休めと言ったら休め」と馬場さんが怒ったんです。「今日来てくれるお客さんは、ジャンボ鶴田、天龍、タイガーマスクを観に来ているんだ。お前を観に来てるんじゃないんだよ。でもお前がトップに立った時、もう休むことはできないんだ」と。今は休めるから今日は休みなさいと。
─泣ける!!!!!
K:それが1988年ぐらいで、ハンセンにやられたのはそれから6年後ぐらい。救急車で病院に行って、22針縫ってホテルに帰った時、ホテルで馬場さんが葉巻を吸っていたんです。馬場さんの顔を見たら、馬場さんがニコっと笑って葉巻をスッとふかして。僕は「どうもご迷惑をおかけしました」と言ってそのまま部屋に戻ったんですけど、そのニコッと笑った瞬間に、明日試合はあるなと思ったんです。
馬場さんは何も言わなかったけど、お前はもうトップなんだから試合は休むことができないよっていう笑顔だったんです。そういうアイコンタクトができて。僕も休みにされてたら文句を言おうと思っていたので、よかったです。
─すいません、胸熱すぎてさっきからずっと涙ぐんでます! しかし奥様のみずき舞さんとしては心配ではなかったですか?
M:当時はそういうものだと思い込んでたから、歯を磨く……とまでは行かないけど、日常のちょっとしたイベントぐらいの感覚で(笑)。
K:僕はこれまで13回、全身麻酔で手術をしてるんですよ。いちばん最初が1998年、三沢さんとの三冠戦でココ(鼻)が複雑骨折しちゃって、「ピチッ」っていったら鼻血が止まんなくなって。13回って、多いですよね?
─多いどころか、人によっては一生に1回あるかないかぐらいですよ!
M:そのうちの何回ぐらいいたっけ?
K:いちばん最初からいるよ(笑)。
M:えっ、全部いる(笑)? でも確かに手術は全部行ってるので、13回もあったんですね…。でも「今日、手術だ…」と恐れる気持ちはまったくなく、普通に病室で雑誌を見ながら待ってたぐらいの感じです。
─平常心すぎる! もう最強夫婦ですね!
M:でも今の方が怖いですね。引退した時に本当に力がふっと抜けて「ああ、こんなに楽なんだ」って。やっぱりどこかで心配だったり、緊張感の中で生活していたんだなって改めて感じました。